« マーラー:交響曲第 8 番《千人の交響曲》/ケント・ナガノ [HM] | カバーページ | ショスタコーヴィチ:交響曲第 8 番/ロストロポーヴィチ »

マーラー:交響曲第 6 番/アバド [DG]

abbado_mahler6.jpg

マーラー:
交響曲第 6 番

クラウディオ・アバド指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

00289 477 5573 [DG]

 2004 年 6 月、ベルリンのフィルハーモニーでのライヴ録音。ベルリン・フィルとのマーラー再録音シリーズの第 4 弾です。3 番、7 番、9 番と立て続けにリリースされましたが、ベルリンの音楽監督を辞任した関係でもう出ないかと思っていました。おそらく 6 番は、最も再録音が望まれていたものではないでしょうか。前回のシカゴ響との録音は、音楽的にも録音もいまいちの内容でしたので。

 ベルリンとのこの演奏は、一言でいって「普通に凄い演奏」です。この表現の、褒めているんだか貶しているんだか判りにくい感覚を汲み取って下さい。まずベルリン・フィルのパフォーマンスは最高です。音色的にもバランス的にも、アゴーギクの見事さも、…… 1 楽章でホルンが 1 小節間違って出てしまったり、スケルツォでトライアングルが数え間違いそうになったりしますが……、それでもアンサンブルのまとまりの良さも素晴らしい。アバドも実に見事にオケを鳴らしています。この開放感は気持ち良いくらい。古巣のベルリンと共演出来る喜びに溢れているといった感じ。

 しかしそれだけのことなのです。その素晴らしい演奏から伝わってくるものは、たいしてありません。マーラーがしたためたドラマや、アバドがそこに何を見いだし伝えたいのかという部分が、私には聴こえてきませんでした。これはシカゴ響との旧盤にも感じました。ま、アバドという指揮者はそういう「内面をえぐる」ような演奏は滅多に聴かせませんが、忠実に音楽を再現することで、音楽に語らせるのが巧い指揮者だと思っていました。しかしどうもマーラーの 6 番に関しては、音楽と指揮者の距離を感じてしまい、実に巧みに処理しているにも関わらず、迫るものが無いのです。この作品は古典交響曲の枠の中で書かれたからドラマは必要ないんだよ、という聴き手には、この純交響曲的アプローチは福音に響くでしょうけど。しかし私は、古典交響曲の枠の中でロマン的なドラマが拮抗しあいギシギシ軋むような、剃刀の刃の上を歩くくらいに微妙なバランスを有する演奏を好みます。

 もうちょっと具体的に詰めるなら、音楽が流れすぎるきらいがあります。第 1 楽章の第 2 主題 (いわゆるアルマの主題) の後半に「2 拍目で全オーケストラを揃える」というマーラーらしい指示があります。強拍の位置をずらすことでロマン派的な "貯め" の効果が生まれる部分ですが、アバドはあまり強調せず通過します。同様に、ちょっと貯めて欲しいなとか、緩めて欲しいなという部分も、無頓着な感じに通過します。そういう解釈なのは構わないですが、そういう部分に差し掛かるとオケは (習慣的にか) 弛緩しかけ、しかしアバドかインテンポなのでちょっと音を端折りながら付いていくという部分がよく見えるのです。アンダンテ楽章も早めのテンポ設定で、それ自体は旋律の俗っぽさが明確になり面白いのですが、オケにそのテンポ感が十分に伝わって無く中途半端になっている部分がままあり、残念なところです。

 また、細かな部分ですが、4 楽章の序奏部が再現される部分で、普通は a dur→a moll のモットー和声のところを c dur→c moll に置き換え、1 番の 4 楽章にあるような衝撃的効果がある格好いい部分ですが、ここの衝撃度はいまいちでした。ついでに、もう一度再現される同じ部分で 3 発目のハンマーがあった訳ですが、もちろんアバドは 3 発目のハンマーは入れません。それどころか、ハンマーの代わりとなる衝撃も一切無く、マーラーのスコア通りハンマーなど無くとももうこの段階で瀕死の状態になっています。ちなみに、4 楽章でオクターブ上げるよう指示が付け加えられた箇所は、指示通りオクターブを上げて演奏しています。

 早めに思えるテンポ設定ではありますが (CD 1 枚に収まってますし)、興味深い事実があります。それは、このアバドの演奏とマーラーのおそらくエッセンでの初演での演奏時間がかなり近いということです。アバド:22'48", 13'57", 12'43", 29'44"、マーラー:22', 14', 11', 31'。シカゴ響との旧盤ではもっと遅めのテンポだったと思うので、私はある程度狙ったのではないかと思いますね。ま、トータルタイムが近いというだけで中身の比較は無意味ですが、参考にはなるでしょう。

 録音は、既発のアバドのマーラー再録音シリーズと同じ傾向で、平均的。音を盛り込むだけ盛り込んだ感じでかなり人工的、編集点も多い。1 楽章の繰り返しの部分、第 1 主題から第 2 主題への移行部でティンパニがリズム主題を刻む部分での編集点が露骨です (一瞬フェードアウトする)。スケルツォの冒頭も、エネルギーバランスが右に寄っていて、居心地が悪い。オケの配置はヴァイオリン対向ではありません。但し全体的な印象としては悪くはありません。今回の 6 番はケースに布っぽい表装のアウターは付いて無く、デザインは踏襲されているもののシリーズとしての一貫性は崩れました。

 さて、この演奏の感想はこの位にして、このアルバムで見逃せない最大のポイントがあります。それは 2003 年 10 月に国際グスタフ・マーラー協会 (IGMG) が発表した「第 6 交響曲の中間楽章は、Andante - Scherzo の順である」との見解に従った演奏であるということです。指揮者個人の責任でこの順で収録されたアルバムが過去にもありましたが、IGMG の公式発表を受けてのメジャー録音はおそらくこれが初めてでしょう。資料によると他に 2002 年のマリス・ヤンソンスの録音 (LSO Live) などもあるようですけど。最近はティルソン・トーマスもこの順序で演奏しているようですが、現在チクルスが進行中の CD の録音には間に合いませんでした。実演では他にサー・チャールズ・マッケラス (BBC フィル)、ズービン・メータ (イスラエル・フィル) などもこの順で演奏しているようです。

 このアルバムの解説はドナルド・ミッチェルが書いていますが、彼は、マーラーが演奏したのは一貫して Andante-Scherzo の順だということは認めているものの、楽章順の問題にはあまり関わりたくないようです。彼は (私の英語力が確かなら)、音楽的に重大な論議ではマーラーが考えた両方の楽章順を考慮すべきで、どのような憶測よりも、中間楽章の中に含まれている「ドラマ」の展開を常に踏まえ、それらの楽章自体に向けられたコメントを重視すべきだと言っています。

 ということで、本当は第 6 交響曲の楽章順の問題についてを中心に色々と書きたかったのですが、アバド盤へのコメントが予想以上に長くなったので、次回に持ち越しとさせていただきます。

 再録音がもっと進むとすると、次は 4 番でしょうかね。2 番は最近ルツェルンとの演奏が出ましたし、あとベルリン・フィルで録音してないのは 8 番位。わたし的には、出来れば《大地の歌》とか《角笛》とか 10 番全曲という選択枝の方を希望します。

関連記事を検索: DG アバド ベルリン・フィル マーラー 交響曲

2005年5月13日 14:59

この記事はどうでしたか? Bad ← 1 2 3 4 5 → Good
評定平均:(3.0) 投票人数:(422)

ソーシャルブックマーク:

« マーラー:交響曲第 8 番《千人の交響曲》/ケント・ナガノ [HM] | カバーページ | ショスタコーヴィチ:交響曲第 8 番/ロストロポーヴィチ »

トラックバック

CAPTCHA
トラックバックスパム防止のため、末尾の XXXXXXXXX 部分を上記画像の数字に置き換えてからご利用ください。お手数ですがご協力よろしくお願いいたします。

トラックバックが反映するまで時間がかかるかもしれませんし、エラーが出ても受け取れているかもしれません。重複トラックバックはこちらで削除しますので、特にコメントは不要です。

このリストは、次のエントリーを参照しています: マーラー:交響曲第 6 番/アバド [DG]:

» マーラー交響曲第 6 番の楽章順の問題 from トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好
 2003 年 10 月に国際グスタフ・マーラー協会 (IGMG) の発表により、マーラーの交響曲第 6 番の楽章順が、今まで一般的だった Scherzo-An... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年5月17日 00:03

コメント(0)

コメントがありましたらどうぞ

メールアドレス・URL は必須ではありません。
コメントは管理者が承認してからページに反映されます。 もしページへの表示を望まない場合は、その旨一筆添えて下さい。削除は管理者へ依頼して下さい。