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バルトーク:《中国の不思議な役人》他/プロコフィエフ:スキタイ組曲/アバド [DG]
バルトーク:
中国の不思議な役人
2 つの肖像
プロコフィエフ:
スキタイ組曲
ロンドン交響楽団、シカゴ交響楽団 (スキタイ組曲)
アンブロシアン・シンガーズ、シロモ・ミンツ (Vn)(2つの肖像)
ロンドン・キングズウェイ・ホール ('82.10)
410 598-2 (DG)
「役人」全曲ということなら、アバドの演奏を推薦したい。ともかく扇情的。鋭角で刺々しく妥協がない。魔術的な雰囲気も強く出ている。ロンドン響の派手な音響もプラスに働いている。まさにスプラッター的残酷演奏最右翼。前奏・幕開けから第1の誘惑が始まるまでのスピード感といい、ニューヨークが舞台かと思わんばかりである。
誘惑のシーンはストレートすぎるきらいはあるが、神秘的な雰囲気が色濃い。「少女の踊り」はソット・ヴォーチェに始まり非常にエッチっぽい。この辺のくだりを聴くと、「サロメ」の "7 つのベールの踊り" をいつも思い出してしまう。ここから、マンダリンが殺されるところまで、ストレートに盛り上がっていく。追いかけっこの始まりの合図である例のトロンボーンの掛け合いは、いま一歩迫力があったら言うこと無しだが、ラストの畳み込みは目を見張るものがある。
マンダリンが窒息死させられてから後のオーケストレーションは凝りに凝ってるのだが、アバドは雰囲気で流しているのか、聞こえてこない音がかなりある。ただしこれはスコアを観て気づく程度のことであり、要所はちゃんと固められているので曲想が損なわれるようなことはない。加えて言うなら、ストラヴィンスキーやベルク的な雰囲気も醸し出している。ともかくこの曲の一番センセーショナルな面を、これでもかと言うほど斬りつけてくる演奏である。
2つの肖像 シロモ・ミンツ (Vn)
1曲目「理想的なもの」は、シュテフィ・ゲイエルのために書かれた第1ヴァイオリン協奏曲 (バルトークの死後発見される) の第1楽章をほぼそのまま流用したものである。ヴァイオリンが出ずっぱりで綿々とソロを弾くのを、オーケストラがポリフォニックに絡んでゆく。ポール・グリフィスはこれをレーガー風ポリフォニーと呼んでおり、旋律が幾重にも連なっていく複雑なポリフォニーを上手く言い表している。ミンツのヴァイオリンは鳴りが太く張りのある音でバルトークらしい。繊細で、盛り上げ方も上手く、オーケストラを巧みにリードしていく。バルトーク初期の作品らしいロマン性も充分に出ており、うまく聴かせている。
2曲目「グロテスクなもの」は1楽章の旋律を下地にしながらも、派手で下劣で狡猾な小品としている。原曲は「14 のバガテル」。ちなみにこの曲はソロ・ヴァイオリンは登場しない。演奏による違いはあまり出ない作品と思うが、この時期のアバドはこの手の曲に対する嗅覚が鋭く、微妙に緩急を効かせた効果的な表現をしている。
プロコフィエフ:スキタイ組曲 シカゴ交響楽団
ロシア・バレエ団のディアギレフより、次なる《春の祭典》ということで若きプロコフィエフに委嘱されたバレエ音楽《アラとロリー》ではあるが、結局実現せずにオーケストラ組曲として日の目をみることになった作品。このバレエ全曲を聴いてみたいと思うのだが、どうやら未完のようで、録音も無い模様。プロコフィエフも《春の祭典》に触発されており、スキタイ組曲を『プロコフィエフ版《春の祭典》』と称するむきもあるが、音楽的には、5音音階や旋法を使っているということや暴力的という程度の類似でしかなく、《春の祭典》と比べるべきものではなかろう。それどころかプロコフィエフ的な要素がてんこ盛りで、すでに自己のスタイルを確立している作品と思われる。
しかしアバドの演奏は、あまりにもストラヴィンスキー的に聴こえすぎる。シカゴ響の超弩級な破壊力は1曲目の前半および2曲目で大発揮され、この部分に関しては言うこと無し。暴力的管弦楽曲というと必ず取り上げられる(誰がそんなランキングをするんだ?)この曲の最もヒステリックにして過激な演奏であり、この手の曲が好きな金管奏者なら知らねばモグリと言われかねない名演である。
ところがこれ以外の部分はプロコフィエフ的な魅力に乏しい。まるでストラヴィンスキーの (《春の祭典》ではなく)《うぐいすの歌》を聴いているようだ。個人的には《うぐいすの歌》はストラヴィンスキーの中で最も好きな曲ではあるが、ここはストラヴィンスキーに頼らずに、プロコフィエフたらしめている部分をきちんと出せばもっと魅力的な演奏になったはずと思う。色彩感に乏しくモノトーンで、旋律線を浮き立たせはするが、伴奏の特徴的なリズムや装飾的音形は雰囲気として埋没してしまっている。プロコフィエフはそういう一見無意味な伴奏が表に出てくると俄然面白くなるという不思議な魅力があるのだが、この演奏では背景に退いている。例えばラトル/バーミンガム響(EMI)の演奏では、装飾的な伴奏が曲を生き生きとさせ、まったく別の曲と思えるほど効果を上げているのだ。
幾分ネガティブな意見を書いたが、このアバドの演奏は、シカゴ響の破壊力を十分に堪能できるという点で他では味わえない魅力がある。これは、他の部分が多少プロコフィエフ的面白さを欠くとしても、それを補ってあまりあるものだ。また「うぐいすの歌」的な部分も演奏としては悪い訳ではく、要は解釈の問題に過ぎない。
録音:3曲とも違う会場、違う時期に録られているが、音の傾向としては似ている。硬質で刺激音が多く軽めの音作り。
2000年8月25日 10:30
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