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バルトーク:協奏曲集/ブーレーズ、クレーメル、バシュメット [DG]

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バルトーク:
2 台のピアノと打楽器のための協奏曲 BB 121
ヴァイオリン協奏曲第 1 番 BB 48a
ヴィオラ協奏曲 BB 128

ピエール・ブーレーズ指揮
ロンドン交響楽団(BB 121)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(BB 48a, 128)
タマラ・ステファノヴィチ (P1)/ピエール=ロラン・エマール(P2)/ナイジェル・トーマス(Perc1)/ニール・パーシー(Perc2) (BB 121)
ギドン・クレーメル(Vn) (BB 48a)
ユーリ・バシュメット(Va) (BB 128)
DG UCCG-1423/輸入盤 (DG 477 7440)

 ブーレーズが DG へ録音し残していた協奏曲 3 曲を集めた一枚で、ヴァイオリン協奏曲はともかく、それ以外はあまり録音に恵まれていない作品であり、なかなかの好選曲な一枚だと思います。すぐに輸入盤が出るはずですが、我慢できずに高い国内盤を買ってしまいました。

 まず《2 台のピアノと打楽器のための協奏曲》。1940 年に作られたこの曲は、その 3 年前に作曲された《2 台のピアノと打楽器のためのソナタ》を原曲にしています。出版社 (ブージー・アンド・ホークス) よりの依頼で作られたと言われるこの協奏曲は、《ソナタ》がハンガリーでの最後の数年、夫婦で演奏旅行をして収入源になったのと同じく、アメリカでの貴重な収入源になるはずでした。しかしバルトーク夫妻が演奏したのは、1943 年にフリッツ・ライナー指揮ニューヨーク・フィルの伴奏での演奏会一度きりで、その後バルトークは病魔に犯され、二度と舞台に上がることはありませんでした。

 ちなみに CD のライナーノートに「1942 年にロンドンで行われた初演」と書いてあるのを受け、訳者の歌崎和彦氏はその訳註で「ニューヨークで (...) 初演されたとするのが定説」と訂正していますが、スコアには「1942 年 11 月、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、Louis Kentner, Ilona Kabos (ピアノ)、サー・エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニックが初演した」との記載があるので、初演はイギリスだったというのが正しいでしょう。

 この《協奏曲》は、《ソナタ》をほとんどいじることなく、単に管弦楽の伴奏を付け足したような作品であり、原曲にある室内楽的な緊迫感が希薄されただけの作品として、あまり評価されていないように思います。しかしブーレーズは「特に第 1 楽章は編曲によって "別の側面" を与えられたと考えている」ようですし、さり気なく違和感なく追加された効果的なチェレスタや、管弦楽によって付加される色彩感、ピアノを管弦楽に置き換えたテュッティの迫力など、編曲によって新たに付け加えられた効果はかなりあります。特に第 2 楽章コーダの夜の音楽では、管弦楽の方がより効果的な部分と言えるでしょう。

 とは言うものの、今まであった《協奏曲》の録音は、管弦楽があまりにも控えめに演奏されているものばかりで、フラストレーションが溜まるようなものがほとんどでした。結果、編成が大きくなったためプアな響きに聴こえるばかりで、これなら《ソナタ》の方が良いと言われても仕方ない。一番まともに "協奏曲" として聴こえたのはフンガロトンのバルトーク全集のヤツ。これはディッタ・バルトーク=パーストリが第 2 ピアノとして参加しているのも聞き逃せない点ですが、そもそもの録音はあまり良くはありません。

 そんな中発売されたこのブーレーズの CD ですが、ようやく決定打が出たという思いがしました。まずオケがしっかり聴き取れます。これだけでもかなり印象が変わります。どれを聴いても辛気くさい印象だったので、これがこの作品のカラーなのかと諦めていたのですが、オケが過不足無く聴こえてくると、色彩感と豊かさがぐっと増します。結局この "過不足無く" というバランスが難しい訳で、2 台のピアノと打楽器の音響に埋もれることなく、しかもカルテットから浮いてしまってもいけない。そんな絶妙なバランスをブーレーズは体現してくれました。しばらくこの《協奏曲》を聴き込んでから《ソナタ》を聴くと、何か物足りない気がするほどです。

 《協奏曲》という特殊性を抜きにして聴いても、なかなか優れた演奏だと思います。熱く、火の出るような演奏よりは一歩引いていますが、メカニカルとはまた違う堅牢さやパワフル感を備えており、迫力があります。オーケストレーションは限りなく薄いのですが、それでも編成や空間は大きいので、テクスチャがぼやけてしまうのは致し方ないでしょう。まれにスコアを変更している部分が見受けられますが、ブーレーズによる補強でしょうか。

 《ヴァイオリン協奏曲第 1 番》はバルトーク 27 歳頃の作品。想いを寄せていたヴァイオリニストのシュテフィ・ゲイエルへ捧げられましたが、まもなく二人は破局。第一楽章は少々手を入れられ《2つの肖像》の 1 曲目として転用されますが、作品自体は闇に葬られ、1956 年にシュテフィが亡くなりその荷物から総譜が発見されるまで、この作品は知られることがなかったものです。バルトークにとって《ヴァイオリン協奏曲》というと、それはもっぱら 1938 年に作曲した方 (第 2 番) のことであり、1 番・2 番という呼び方は出版社が便宜的に付けたものです。ちなみに、シュテフィとバルトークは完全に仲違いしたわけでなく、バルトークはその後もシュテフィのいるスイスのバーセルへ度々出かけていますし(共演もしたらしい)、亡命の際は夫妻の渡米の手伝いもしたようです。

 この時期のバルトークは、民謡収集は始めていたものの、それを自己の作品の源泉とはまだしておらず、この作品も後期ロマン派風の因習的な香りのするものです。それでもバルトークらしさは色濃く、第 1 弦楽四重奏曲まであと一歩というところまで来ています (実際このふたつの作品は呼応しあっている)。第 1 楽章は「女性としての」、第 2 楽章は「ヴァイオリニストとしての」シュテフィを讃えたものだと言われています。第 1 楽章は遙かにワーグナー的で、とりわけ《トリスタンとイゾルデ》的に響きます。冒頭のヴァイオリンの旋律は『シュテフィの動機』と言われ、第 2 楽章もこれをちょっと変更した動機で始まり、加えるに第 1 弦楽四重奏曲もさらに音高を変更した動機で始まります。第 2 楽章はさらに表題性が高まり、《英雄の生涯》か《家庭交響曲》かのごとく。第 3 主題で低弦につぶやくように現れる主題には、そのスケッチに「しきりに、不満を言う」「ドン、ドン、ドン、ドン、ドン」との書き込みもあり、それをヴァイオリンが受ける様子は、まるで『英雄の伴侶』のようです。次第にその言い争いは激しくなっていきますが、幸せそうな雰囲気は続き、ついには意味ありげな (マーラー・ライクな) 童謡風の旋律まで出てきます。その部分には「ヤースベレーニ、1907 年 6 月 28 日」という書き込みがあり、なにやら楽しそうな事が二人の間にあったらしいと推測されますが、その詳細も含め、大部分のプログラムは謎とされています。しかし恐らく当人達にとってあまりにも具体的な内容を描いていたため、想い出として仕舞っておくしか方法がなかったのでしょう。

 ブーレーズの演奏では、私はクレーメルの節回しに共感できませんでした。本人は歌っているつもりのようですが、昼ドラのように演技過剰でしかもくどい。もうちょっと自然な歌い込みが出来ないものかと。特に叙情的な部分が駄目。第 2 楽章第 2 主題の 2'58" あたりは難しい重音で上手くいっている演奏は少ないのですが、クレーメルは重音奏法としては上手いものの、旋律としては最低の演奏内容でした。ブーレーズの伴奏は濃厚で良い雰囲気ですが、録音のせいかのっぺりしているように感じます。まあこの曲のロマン性を諦めさえすれば、かなり水準の高い演奏だとは思いますが。この曲で一番お薦め出来る演奏は、ギーレン/オステルターク[hänssler]の演奏ですね。

 《ヴィオラ協奏曲》はバルトーク未完の遺作を、作曲者の友人ティボール・シェルイが補筆完成させた作品。委嘱者のウィリアム・プリムローズには「あとは機械的に総譜に書き写すのみで、5〜6 週で出来上がるでしょう」と書き送っていますが、同時に作曲していた同じく未完の《第 3 ピアノ協奏曲》が、最後 17 小節のオーケストレーションを残すのみの状態だったのに対し、《ヴィオラ協奏曲》は断片的な 14 ページの草稿があるのみでした。その草稿も頭から順序よく書かれている訳でなく、第 1 楽章、ついで第 3 楽章はある程度書き込まれていたものの、第 2 楽章は簡単なスケッチしか残ってなく、まだどこに入るのか判らない素材もあったようです。(バルトークは初め 4 楽章構成を考えており、スケルツォ楽章に相当する素材ではないかと考えられている。) マーラーの 10 番以上にトルソーな状態だったといえます。

 シェルイは《第 3 ピアノ協奏曲》を手本としてこの《ヴィオラ協奏曲》を仕上げていったので、似通った雰囲気のあるところはバルトークの本意ではないのかもしれません。特に第 2 楽章の中間部にある鳥のざわめきはシェルイが補筆したもので、確かにバルトークの緩徐楽章ではこういうざわめきがよく聴かれますが、あまりにも《ピアノ協奏曲》に似ているためやりすぎに聴こえます。また第 1 楽章はとても長く、第 2 第 3 楽章はとても短いというアンバランスな構成をしています。これも、もしバルトークにまだ時間が残されていて、最初の計画通りスケルツォ楽章が作られていたら、かなり綺麗な 4 楽章構成になっていたのかもしれません。残された時間の短さを悟ったバルトークは、ともかく計画を変更してでも完成させる方を優先したのでしょうが、それでも尚、絶望的に時間が足りませんでした。

 ブーレーズ/バシュメットの演奏は今まで聴いた中で最も完成度が高いものでした。第 1 楽章は素材のごった煮的な印象だったものが、十分整理されて曲に没頭できるようになりました。途中いきなり現れるブリッジ風のファンファーレも、唐突感が無いよう前後にドラマを作ってありますし、ヴィオラだけに任せずに、ちょっとした楽句でもオケが曲を動かし、絡み、説得力あるものにしています。それに何よりもバシュメットの曲運びが上手い。曲に内在しているものを、見事に浮かび上がらせてきます。ブーレーズもシェルイ版の弱点を良くわきまえており、そして克服してみせます。第 2 楽章の鳥のざわめきも巧い。端からバルトークが作った物のごとく聴こえてきます。第 2 楽章の切り詰めた素材からは果てしない郷愁を感じさせますし、第 3 楽章のルーマニア民俗舞曲も、バルトークの理想の村がアメリカという遠い地であっても、戦争に蹂躙されることなく、色あせずにそこにあったという、それこそバルトークの "天上の音楽" のように聴こえてきます。

 《2台のピアノと打楽器のための協奏曲》と《ヴィオラ協奏曲》に関しては、この録音がベストだと思います。《ヴィオラ協奏曲》に関しては、初演者プリムローズの録音や、メニューインの録音などもありますが、一応そちらはマニア向けということで。《ヴァイオリン協奏曲第 1 番》はギーレン盤を是非聴いてみて下さい。そして《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》版の方が気になった方は、コチシュ/ラーンキ盤 (Hungaroton ですがバルトーク大全集の物とは違います) が、火の出るような演奏でお薦めです。

関連記事を検索: クレーメル バシュメット ブーレーズ ベルリン・フィル ロンドン響 協奏曲

2008年8月27日 10:57

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