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ショスタコーヴィチ/プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番/チャン/ラトル [EMI]
ショスタコーヴィチ:
ヴァイオリン協奏曲第 1 番 Op. 99
プロコフィエフ:
ヴァイオリン協奏曲第 1 番 Op. 19
サー・サイモン・ラトル指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
EMI 0946 3 46053 2 8
ショスタコーヴィチ生誕 100 周年の今年は、わたくし的にはモーツァルト・イヤーではなくショスタコーヴィチ・イヤーであります。しかし最近相次いだラトルの新譜ラッシュはどれも国内盤先行発売なんて扱いになっていますが、この盤だけがそういう扱いから漏れている訳で、国内的にはショスタコーヴィチ・イヤーは二の次ということのようです。ま、高い国内盤を買わされずに済んで助かりましたが :-P。
ショスタコーヴィチの第 1 ヴァイオリン協奏曲は交響曲の第 9 番と第 10 番の間に Op. 77 として書かれましたが、作曲された 1948 年はちょうどジターノフ批判のあった年で、そのような状況でこの作品を発表したらそれこそ文字通り命取りとなったでしょう。初演はスターリン死後の 1955 年で、Op. 77 という番号は他の作品に当てられたため Op. 99 として発表されましたが、後に楽譜全集が出版される際に Op. 77 に戻されています (Op. 99 は映画音楽『第一梯団』が入った)。しかし Op. 99 となっている CD は多く、このラトルの CD も 99 でした。
第 1 楽章はノクターン。しかしこの楽章はノクターンという言葉のイメージとは裏腹な、ショスタコーヴィチの作品の中でも特に重く沈痛な印象を与える曲です。ヴァイオリンの旋律は区切り無く面々と続いていき、それを支えるオーケストラはモノトーンでこちらも継ぎ目の無い変化をしていく。しかし感情的な起伏は大きく、ソロもオケ(指揮者)も繊細にして大胆な表現力が要求されます。
サラ・チャンのヴァイオリンは果敢にこの曲に立ち向かっていますが、感情の起伏をテンポの変化で付けようとするきらいがあり、その伸縮性がショスタコーヴィチらしい安定感を欠く結果となっているよう思えます。逆に見ると情熱的なヴァイオリンであり、良くできたヴァイオリン協奏曲という風に聴こえてきます。ラトルもあえてショスタコーヴィチのスコアからロマン派的な演奏を引き出しているようで、それはそれで聴き応えがありますが、厳格な重苦しさは味わえません。
第 2 楽章スケルツォ。ショスタコーヴィチらしいどぎついスケルツォで、ソロもオケも高難易度を要求されます。ショスタコーヴィチのアナグラム D-Es-C-H 音型(実際は Dis-E-Cis-H だが) もこの曲でお目見えです。ラトルのリズム感は見事で、悪魔的なトリオでの馬鹿騒ぎ的な Tutti からの畳み掛けは肉体的で、ジワジワとしたアッチェレは聴く者の興奮を誘います。録音のせいかもしれませんが、音の透明感が乏しくざわついた印象なのが残念。ハーモニーの気持ち悪さがいまいち出てません。ソロは要求に充分応えているでしょう。
第 3 楽章はパッサカリア。第 8 交響曲の第 4 楽章や第 10 弦楽四重奏曲などショスタコーヴィチには印象的なパッサカリアがありますが、この楽章はその中でも屈指の表現力を有していると思いますし、この作品の核心部分でもあります。第 1 楽章同様、ソロはドラマトゥルギーとしての大役を引き受けます。機械的な動きがほとんどの旋律を歌いこなす力が要求されます。サラ・チャンのヴァイオリンは含蓄はあまり感じられませんが、それでも健闘していると思います。しかし録音の関係もありますが、伴奏が混沌としており、それに伴い音楽的な明瞭度も落ち、感動できるほどの体験には至りません。カデンツァは見事です。
第 4 楽章はブレスク。それまでの重たい楽章から、破れかぶれ的で狂気も湛えた乱痴気騒ぎに。ここで聴かれるパワフルな演奏は見事でラトルのリズム感が光りますが、曲の要請というよりは演奏上の都合と思われるテンポ変化が多く、勢いに乗り切れてない感じも受けます。サラ・チャンは難しい部分であからさまにテンポが変化しますが、ベルリンは見事にピタリと付けています。
プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第 1 番はショスタコーヴィチのそれとは好対照な、きらびやかで軽く洒落た音楽。しかし作曲当時はこれでも前衛的だった訳ですが。《ピアノ協奏曲第 1 番》《スキタイ組曲》などと同時期の作品ですが、肩を並べるかそれ以上に聴かせるものを持った名曲です。
第 1 楽章はアンダンティノ。彼のバレエ音楽のバリアシオンを彷彿とさせる、物語性を湛えたメロディアスな曲です。中間部にはジプシー・ヴァイオリンを思わせる早い部分などあり、趣向も凝らしてあります。サラ・チャンのヴァイオリンはショスタコーヴィチよりも伸び伸びとしているように聴こえます。オーケストラは伴奏の域を出る部分は無いのですが、デリカシーある好サポートが光っており、バレエ音楽への接近が感じられます。
第 2 楽章スケルツォも、バレエ音楽的で《ロメオとジュリエット》風。4 分ほどの短い曲ですが、ヴァイオリンの難易度は尋常でなく、それでも見事に弾ききっています。細かい音もキッチリ収まるテンポで演奏しているので、この曲の持つ迫力や疾駆感が犠牲になっており、前衛性も押さえられていますが、ヴィルトゥオーゾ性より全体的なまとまりを重視した上品な演奏になっていると思います。ヴェンゲローフ/ロストロポーヴィチ盤 (TELDEC) のように、もうちょっと下品な方が悪魔的な迫力が出て面白い曲なのですが。
第 3 楽章、モデラート。スケールの大きい感動的な大団円を形成する音楽。オーケストラの活躍する比重が増え、ソロは割とオブリガート的な役割を担わされますが、オケとの絡みも絶妙で良い彩りを与えます。ラトルのオケも雄弁で良い雰囲気を作り出しています。ソロも美しい。しかし録音のせいでオケの細かいテクスチャが聴き取れず、凝りに凝った音響がまったく生きてなく、全体としては平凡な出来に聴こえます。
録音は、2005年 6 月 15-17 日と 9 月 14-20 日にベルリンのフィルハーモニーにてライヴ収録。この CD の録音はまったく酷い。演奏者が不憫に思えてきます。ショスタコーヴィチではソロより高い音が使われることがまれなのでまだ破綻せず聴けます。しかしプロコフィエフはレンジが広く、特に高音楽器の雰囲気を上手く使っており、第 1 楽章の後半でフルート、ハープ、高弦などで幻想的な音響による見せ場などもありますが、立ち上がりの悪いマイクを使っているのか、この辺の雰囲気がまるっきり録音されていません。細かい音の粒立ちも悪く、分離も悪く、モノーラル的で広がりに乏しい音場感。あまりにもの低解像度ぶりで、この音ではプロコフィエフは完全に駄目です。ラトルは、あまりガッついた曲作りではなく繊細なバランスを求めているようなので、果てしなく足を引っ張っている録音と言えるでしょう。
結構期待した盤でしたが、録音の酷さに聴く気を失うような、全く残念な出来でした。EMI はそれでも最近は聴ける録音をしていたのですが、また信用できなくなりましたね。放送用音源でもまだこれより良い録音が出来るのに、何故なんでしょ。ショスタコーヴィチはオイストラフ/ムラヴィンスキーの圧倒的名演が残されています。いつまでも大昔の録音を傾聴しているのは不健康 (^^; なんじゃないかと思うのですが、こればかりは別格です。それだけに早くこの演奏に匹敵する怪演が生まれ、新しい時代を築いてくれないかという想いは強くなるのですが、演奏/録音の両面でこのサラ・チャン/ラトル盤でそれは果たされませんでした。プロコフィエフは上記のヴェンゲローフ/ロストロポーヴィチ/ロンドン響盤がお薦めです。
Producer: Stephen Johns
Balance Engineer: Mike Clements
| これを買うより、BRILLIANT の Shostakovich complete Concertos (3枚組 約 1,400円) を買った方が良いです。 |
2006年3月10日 17:53
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