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マーラー:大地の歌/ブーレーズ [DG]

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マーラー:
大地の歌

ピエール・ブーレーズ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィオレッタ・ウルマーナ (Ms)、ミヒャエル・シャーデ (T)
ウィーン・ムジークフェライン ('99.10) 60'28"
UCCG-1021 (DG)

 ブーレーズのマーラーも第7弾となった。声楽入り作品を後回しにしていたブーレーズ。前作第4交響曲でソプラノ独唱が入り、今回の《大地の歌》でメゾソプラノとテノールの独唱者2人になった。ということはこのあと、3番(独唱1人+少年合唱)→2番(独唱2人+混声四分合唱)→8番(独唱8人+混声四分合唱+児童合唱)と進むという予想が立つ? 意外と次は《角笛》だったりして。

 今年('00)夏頃、NHK-FM でブーレーズ/VPO の《大地の歌》をやっていた。初めは誰の演奏かも判らず、しかも途中をちょっと聴いただけだった。その時は「つまらん演奏だなぁ」と思い、ほとんど聴かずにそのまま風呂に入った。上がったときはちょうど終わったところで、「ただ今の演奏は、ブーレーズ指揮ウィーン・フィル…」というアナウンスを聞き、へぇ、と意外に思った。CD がリリースされたときもその時の印象があったのであまり触手が伸びなく、まあ輸入盤が出るのを待つかと考えていたのだけど、最近聴くものがなかったので買ってみたのだ。

 実際 CD でちゃんと全部聴いてみると、FM でつまみ聴きしたときの印象とうって変わって、ブーレーズのマーラー演奏史上に立派に位置づけられるものであった。この《大地の歌》も従来のブーレーズのマーラー演奏で感じた、『マーラー』という既製のイメージを解体し、あくまでも交響曲作品群のなかの一曲として再構築して見せられる思いがする。つまり、演奏史上すでに記号化してしまっている解釈を排除する。あからさまにお約束を無視される思いなのだ。かといってスコア無視ではなく、反対に従来のマーラー演奏にあった「スコアに書かれてないお約束」を無視するのだ。まあ従来のマーラー演奏は、マーラーが振ったらこうやるだろう的解釈の上に成り立っていた面は往々にしてあっただろう。でそのイタコの役割を担っていたのが、最近ではバーンスタインの演奏だったと考える。みんながそれに倣(なら)っていたとは言わないし、イタコがバーンスタイン1人だったという訳でもないが、出発点あるいは到達点としてバーンスタイン流の解釈が(意識するしないに関わらず)マーラー演奏全体に浸透していたと思う。

 《大地の歌》で一例をあげると、4曲目「美について」の中間部、美しき若者たちが駿馬にのって駆け巡るシーン。ふつう良く耳にする演奏は、ここで俄然活気づいて、メゾソプラノが唄えないくらいまでテンポを煽り、馬の疾走感を音楽の疾走で表すというものだ。しかしスコアを見ると速度表示としては Allegro とあるだけで、マーラーの指示も「徐々に活気づいて」とか「マーチ風に」「もっと流れて」「つねに流れて」といった感じで、無闇にスピードアップすることを要求するものではない。バーンスタインがあんなに早く演奏するのは、ようするに "解釈" なのだ。そしてその解釈は程度の差こそあれ今では一般的なものになっている。で、ブーレーズの演奏はというと、従来の演奏に慣れた耳で聴くと拍子抜けするほど遅い。ちなみに DECCA のバーンスタイン/VPO の演奏とテンポを測定して並べておく。

ブーレーズ

バーンスタイン

マーチの始まり

91110
トロンボーンによる主題131

150

Tempo I の8小節前

147174

 遅いから悪いと思ってはいけない。このテンポの御陰でブーレーズの演奏は情景を想像しやすくなっている。私の想像力が足りないだげかも知れないが、今まで、なんでここで馬が乱入してくるのかよく理解できなかった。しかしブーレーズの演奏を聴くと映画的に情景が浮かぶ。乙女たちが岸辺で花を摘んでいる静かで安定したフレーム、と遠くで聞こえる馬のいななき。するとカメラがゆっくりと退いていき雄大な景色の全景を捕らえたかと思うと、若者たちの乗った駿馬が遠くから疾走してくるのが見える。ついには、彼らは草花を踏み散らしながら乙女たちの間近を駆け抜けていく。乙女の可憐さも若者の躍動感もそれぞれ美しい、てな具合だ。立体的で、広がりと奥行きのある情景を感じられる。ブーレーズとバーンスタインどちらの解釈が優れているかという問題ではないが、ようやくここの意味が判ったように思えた。

 4曲目だけを詳しく書いたが、全体的にこの演奏は、派手なそぶりを見せず地味に淡々とした印象がある。テンポの揺れやアゴーギグの付け方も大袈裟ではなく(スコアで指示されているところは十分にしているが)、うっかり聴いているとイン・テンポのままのように思えるだろう。しかしそのなかにも味わい深さがある。詩を味わうように何度も聴いてようやく判るようになってきた。バーンスタイン流の、読みどころ満載の "長編小説" を読むようなストーリーテラーも良いが、"詩" の世界観を手垢の付いてない手法で見せてくれるのもまた良いものだ。「古典」の表現を借りれば、"おかし" と "あわれ" の差といえるだろう。

 歌い手だが、ヴィオレッタ・ウルマーナとミヒャエル・シャーデ、どちらもよく頑張っている。テノールのシャーデは、音符と音符の間やリタルダンドの間合いなどで、表現の詰めの甘い部分を感じなくはないが、音程やリズムを丁寧によく守っており十分聴いてられる。ウルマーナもしっとりとした声でこの曲に合っており、ドラマチックな部分でもうちょっと歌い上げて欲しかったが、決して悪い出来ではないだろう。

 ウィーン・フィルのアンサンブルも誠に見事。ケチの付けようのない完璧な演奏であるばかりか、イン・テンポのなかでこれだけ自在に表現できてしまうのは、やはり凄いことだ。

 今回は勢いで褒めちぎってしまったが、そもそもブーレーズのマーラーは肌に合わないという方は、この《大地の歌》を聴いてもガックシくるだけだろう。賛否両論あるはずの演奏だと思うし、私も個人的な好みとして全面的に気に入っている訳ではない。しかし聴くべき部分は沢山あるし、こういう味わいもまた良いと思うので、推薦する訳である。水準は超えている。あとは自分の嗜好との闘いだ。

演奏:★★★★★
録音:★★★★☆

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2000年11月27日 11:45

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