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マーラー:《嘆きの歌》 聞き比べ

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マーラー:
《嘆きの歌》

サイモン・ラトル/バーミンガム市響 [EMI]
リッカルド・シャイー/ベルリン・ドイツ交響楽団 [Decca]
ジュゼッペ・シノーポリ/フィルハーモニア管 [DG]
マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ響 [BMG]
ケント・ナガノ/ハレ管 [Erato]

 今回はリクエストにより、マーラーの《嘆きの歌》を取り上げます。

 この作品は、マーラーがまだウィーン音楽院の学生であった 17 歳の頃 (1878) に着手され、1880 年に完成しました。マーラー最初期の作品で知られる《さすらう若人の歌》は 1883-4 年の作品なので、それよりももっと古い作品であり、ウィーン音楽院の卒業作品として知られる《ピアノ五重奏曲》と同時期か、それより古い作品と言えます。

 しかし音楽的な豊かさは既に間違いなくマーラーらしさを帯びており、冒頭のホルンによる起床ラッパはマーラーらしい三連符を聴かせますし (ウェーバーの影響も感じさせる)、《さすらう若人の歌》の『彼女の青い目が』や第 1 交響曲の第 3 楽章に聴かれる主題が、ほぼそのまま出現したりします。まあこれは、"死への眠り" のモティーフとして後の作品に自己引用したということでしょう。それだけでなく、マーラーの全作品に特徴的な四度への嗜好性 (ベースのド・ファ・ド・ファという葬送行進曲はこれでもかというほど出てくる) や、第 2 交響曲の第 1 楽章を思い起こす天上的な弦楽アンサンブル、ワーグナーからの息吹を伝える舞台裏の活用と第 3 交響曲や第 7 交響曲の 1 楽章コーダにあるような祝祭的でド派手な音楽など、枚挙に暇がありません。既にタッカのリズムも 16 分休符が入るマーラーらしいものになっています。スコアを見ていると、見た目だけでも前期交響曲を彷彿とさせるものです。またワーグナーから影響されたと思われる部分が、後の作品より色濃く出ているのが面白いですが、さらに未来に向かって、この作品がシェーンベルクの《グレの歌》やベルクの作品をも想起させるのは興味深いことです。

 この作品はなかなか演奏される機会に恵まれず (1881 年の『ベートーヴェン賞』応募が最大のチャンスでしたが落選、マーラーは作曲家としてのスタートを切れなかった)、指揮者としての名声が確立した 1901 年にようやく自身の指揮で演奏されました。しかしそれまでの間に何度か改訂の手が入っており、全 3 部のうち第 1 部はカット、第 2,3 部も手直しされての初演となっています。出版も、初演時と同じ改訂版の第 2,3 部のみがされております。破棄された第 1 部のスコアはマーラーの妹ユスティーネが所有していましたが、彼女はウィーン・フィルのコンサートマスターであるアルノルト・ロゼーと結婚、やがでロゼーの息子アルフレートの手に渡り、彼の手により 1934 年に初演されます。出版は 1973 年にされ、現在ではこの第 1 部とマーラーが演奏した第 2,3 部を合わせた形で演奏されるのが一般的となっています。

 上記したようにオーケストレーションなどはマーラーらしく聴き応えのあるものですが、問題は曲の構成でして、特に第 1 部は単調に聴こえます。それは内容的にはワーグナー風のオペラのような劇的なものであるにも関わらず、歌曲のように 6 行詩に合わせるように作曲されており、同じ内容が何度もリフレインされるからだと思います。確かにちょっとずつは変化していますが、マーラーらしい徹底した展開技巧はまだここには無く、オペラのようでいて歌曲のような玉虫色の据わりの悪さが聴くものの耳を戸惑わすのです。また性格の違う短いブロックが数珠繋ぎになっており、雰囲気がころころ変わるのも難しくしています。第 2 部、第 3 部はオペラのような劇的な表現も必要とされます。演奏者には、単調さを感じさせない劇性とストーリーテラーの巧さが求められるでしょう。


rattle_klagende.jpg まずは、ラトル/バーミンガム市交響楽団・合唱団、ヘレナ・デーゼ(S)、アルフレーダ・ホジソン(Ms)、ロバート・ティアー(T)、ション・レー(Br) [EMI]. 1983 年 10 月 12,13 日と 1984 年 6 月 24 日、バーミンガムのタウン・ホールでの収録。良くも悪くもこれは規範的な演奏だと思います。そもそもこの録音が出るまで 3 部版はおろか《嘆きの歌》自体がほどんど脚光をあびることがなかった訳ですから。ラトルのマーラー特有のスタイリッシュな演奏で、幾分ディティールにデフォルメを加えながらも着実にスコアを描いていきます。特に第 1 部では冒頭のホルンの "こだま" に楽譜には無いゲシュトップで吹かせてみたり、木管だけで弱い部分にトランペットを付け足してみたりと "補強" がされており、未熟な部分をよりマーラー的な響きへ解決するためのささやかなお色直しも施しています。しかし録音の問題もあり音に瑞々しさがなく、全体に貧粗で辛気くさい雰囲気が漂っているのが難点。まあグリム童話的な怖さや《ヴォツェック》のような血なま臭さを感じる音と思えなくもないですが。それに優等生的で生真面目な解釈のため、前記した音楽構成の弱点もはっきりと出てしまい、今の耳で聴くと、どちらかというとつまらない演奏に聴こえてしまいます。しかし才気走った演奏であることは確かですし、「歌う骨」の劇性も十分。いまもってスタンダードな演奏として聴けるでしょう。実際にマーラーが書いたものをそのまま表現するとこのラトルの演奏になるのではという思いもあります。

 余談ですが、このラトル盤の日本語解説の曲解説はちょっと酷い。なんでもかんでもマーラーの家庭の不幸に結びつけたり、《亡き子をしのぶ歌》を「不幸の予感(あるいは期待)のあらわれ」と運命論に固執する解釈はよく見るからまだ良いものの(良くはないのですが)、《嘆きの歌》の婚礼の破壊ということが、初演の時期が近いというだけでなぜかアルマとの結婚に結びつけられて解釈されており、婚礼の破壊と「やがて生まれ来る子供の不幸を予感することになる、この二重の呪縛性が、単なる偶然だけと考えられるものでしょうか」などと結論付けるのは、あまりにも作品から乖離した "こじつけ" でしかないでしょう。書いた本人も「アルマに会うおよそ 9 ヶ月前に初演された」と認識しているのに、それをねじ曲げてまで自分の思いつきに酔っている言質はかなりイタイです。こんな事さえ書いてなかったら、まとまった良い解説なのに。


chailly_klagende.jpg お次はシャイー/ベルリン・ドイツ交響楽団 (ベルリン放送交響楽団)、デュッセルドルフ国立楽友協会合唱団、スーザン・ダン(S)、ブリギッテ・ファスベンダー(Ms)、マルクス・バウアー(Boy alto)、ヴェルナー・ホルヴェク(T)、アンドレアス・シュミット(B) [Decca]. 1989 年 3 月、ベルリンのイエス=キリスト教会にて。ラトルと真逆で骨太な演奏です。お伽話的な怖さや不安感は無く、徹底的にメルヘン。ゆったりとした曲の運びで物語を紡いでいく語り口です。奇をてらったような部分が無く、安心して聴ける心地よさがあります。それだけに面白みを欠く演奏ですが、こういう硬派な解釈もこの曲の核心を聴き取るためには必要でしょう。この演奏で特徴的なのは、吟遊詩人の吹く「笛の歌」をボーイ・アルトが歌っていることでしょう。この部分は初稿の指示ではボーイ・アルト(第 3 部ではボーイ・ソプラノも指示されている) になっており、その効果を取り入れたのではないかと思います。なかなか難しい歌ですが、上手く歌い上げております。
sinopoli_klagende.jpg シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団、晋友会合唱団、チェリル・ステューダ(S)、ワルトラウド・マイヤー(Ms)、ライナー・ゴールドベルク(T)、トマス・アレン(Br) [DG]. 1990 年 11 月、東京芸術劇場にてライヴ収録。シノーポリは録音ではヴァイオリン両翼配置をよく使いますが、これはライヴなので残念ながらモダン配置となっています。まずシノーポリらしい繊細な響きが心地よい。第 1 部はポリフォニーの際だたせ方が上手く、オペラやカンタータ的というより交響曲的な演奏になっており、「マーラー交響曲第 0 番」とでもいうような内容です。

 特に弟殺害の場面以降の音楽が優れており、オペラ指揮者らしい劇的な表現です。そういう意味で白眉なのは第 2 部で、普通は浮ついてユーモラスに聴こえる吟遊詩人の音楽が、冒頭から一貫してもの悲しさが付きまとっていて、まさに嘆きの歌となっているのです。さらに後半部分の「歌う骨」から何かに取り憑かれたのではないかという集中力で、その劇性は第 3 部にまで及びます。第 3 部も後半に向かうにつれどんどんハイテンションになっていき、マーラーの作った唯一のオペラとして聴き応え充分、R.シュトラウスをも凌駕してしまうほどの異常事態。「ギャー、そこまで神経を逆撫でするような音を作らないでくれ〜」。シノーポリも凄いですが、マーラーがこのままオペラ作家になっていたらと思うと、それこそ鳥肌がたつような、そんな壮絶な演奏です。これをライヴで聴けた人は、一生の宝ではないでしょうか。


 MTT_klagende.jpg ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団・合唱団、マリーナ・シャグチ(S)、ミッシェル・デ・ヤング(Ms)、トーマス・モーザー(T)、セルゲイ・レイフェルクス(Br) [BMG]. 1996 年 5 月 29-31 日、6 月 2 日、サンフランシスコのデーヴィス・シンフォニー・ホールにてのライヴ録音。もの凄く巧い演奏です。緩急の付け方が深く、しかも音楽的に適切なため、第 1 部など遅いと思っていたシャイーの演奏よりさらに 2 分以上長いのですが、今までの中で一番きびきびとした演奏に聴こえます。それに面白い。じっくりと含んで聞かすような語り口は、まさに童話を聞いているような印象を受けます。

 所々、楽譜にないゲシュトップやスルポンティ・チェロなどの奏法を加えており効果を出していますが、その中で最大の改変は第 1 部で弟が花を見つけた後に奏されるホルンのファンファーレがティンパニと共に舞台裏(!)から鳴り響くという部分でしょう。本来第 1 部には舞台裏の管楽隊の出番はありません。一応説明すると、花を先に見つけた者が女王と結婚できるというストーリーで、第 3 部の婚礼の場では、舞台裏から管楽隊が奏す宴の音楽が鳴り響くというシーンがあるのですが、要するにこのファンファーレも舞台裏から鳴らすことで、第 3 部の婚礼の場との関連付けがされ、結婚の権利を得たという音楽的な意味を印象的に深めているのです。ちょっとした工夫ですがこの効果は大きいです。

 シノーポリのような生理に直接訴えてくるような壮絶さは無いですが、音楽的な表現力は申し分無いですし、バランス感覚の良さやマーラー的な音響の快感 (第 3 部開始から約 4 分ほど続く、マーラーが書いた中でも最も派手で華々しい効果を持つ "婚礼の音楽" も、滅茶苦茶格好良く決まっています)、なんと言っても難物な第 1 部が見事なので、万人にお薦めできるディスクです。


nagano_klagende.jpg 最後はケント・ナガノ/ハレ管弦楽団・合唱団、エヴァ・ウルバノヴァー(S)、ヤトヴィガ・ラッペ(A)、ハンス・ペーター・ブロホヴィツ(T)、ホーカン・ハーゲゴール(B)、テレンス・ウェイ(Boy S)、オットー・ヤウス(Boy A)(ウィーン少年合唱団のソリスト) [Erato]。1997 年 10 月 8-12 日、マンチェスターのブリッジウォーター・ホールにて収録。このアルバムは初の初稿版による演奏です。この曲は都合 3 度改訂されており、第 1 部は本格的な改訂前に破棄されたので現行のものと初稿はほぼ同一ですが、第 2, 3 部がオーケストレーション・レベルでかなり違っており、また歌詞も部分的に変わっていたり、独唱者の担当も変わっていたりします。

 最大の違いは、第 2 部で吟遊詩人が骨から笛を作ろうと思いつくシーンです。改訂版でのここは、第 1 交響曲第 3 楽章の練習番号 10 を彷彿とさせるシンコペーションが主体の音楽になっていますが、初稿ではここで舞台裏からトランペットが鳴り響き、しかもハ長調と変ハ長調の複調で 4 拍子と 3 拍子の混在という斬新でメランコリックな音調、アイヴスを先取りしたような音楽を奏でます。物語的にも "へそ" になる部分で、この笛が語るであろう物語を暗示し、魔法の笛を作り出す吟遊詩人の霊感めいた奇怪さも表現されているように思います。第 1 部のカットと共にこの部分も削られてしまった訳ですが、実に短い部分ではありますがこの部分の復活は初稿最大のメリットです。

 後は第 3 部の「笛の歌」がボーイ・アルトとボーイ・ソプラノで歌われること。この歌の性格を際だたせるにはかなり有効ですが、同時にリスクも大きい訳で、かなり力のある歌手を連れてこなければ成り立たないでしょう。オーケストレーションとしては、改訂は第 3 交響曲を手がけていた時期に成されたものなので、やはり改訂版の方が出来が良いです。改訂版の全 3 部に、第 2 部の舞台裏の音楽を付け加えるのが理想的ではないかと思います。第 1 部も同時に改訂されていれば、まったく言うこと無しなしなんですが。しかしよっぽと聴き込んでないとオーケストレーションが弱いとは思わないかもしれません。

 ナガノの演奏は、こちらも素晴らしい。まず低域の厚い録音が音楽的な厚みも増やしているように思えます。ティルソン・トーマスほど演出的ではないですが、それでも変化の振幅は大きく、細かなディテールと大きな流れの調和が曲の美しさを引き立てています。また第 2 部では、オルゲルプンクトのように付きまとう低弦の細かいターンの動きが、これほどまで脅迫的に響いてくる演奏は初めて聴きました。第 3 部の「笛の歌」のボーイ・アルトとボーイ・ソプラノは、なかなか健闘していますが劇的表現としてはあと一歩欲しかったと思います。ナガノの演奏を聴いて、従来の《嘆きの歌》とは何かが違うとは思うでしょうが、それが版の違いによるものなのか解釈によるものなのかは、混然としており判断に難しいものです。それだけユニークな演奏になっていると言えるでしょう。

 初めて聴く人向けにこの中から一枚選ぶなら、ティルソン・トーマスでしょう。音楽に引き込まれ、こんなに面白いマーラーがまだあったのかという充実感を得られると思います。ナガノの演奏も初稿版という特殊性抜きにしても十分楽しめる、聴き応えある演奏です。それでも物足りないという方は、シノーポリのライヴならではの激情的世界へ。

Amazon のリンクを示しましたが、シノーポリ盤以外は輸入盤で比較的入手容易です。ナガノ盤は廉価盤でも購入できますので、高い商品を買わされないよう注意して下さい。最後のは Dover 版スコア(Universal のリプリント/2部版)です。
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2006年6月 2日 17:57

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