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マーラー:大地の歌/マイケル・ティルソン・トーマス [SFS Media]
マーラー:
《大地の歌》
サンフランシスコ交響楽団
スチュアート・スケルトン (T)
トーマス・ハンプソン (Br)
SFS Media 821936-0019-2
マイケル・ティルソン・トーマス (MTT)/サンフランシスコ交響楽団 (SFS) のマーラー・チクルスもいよいよ大詰め。《大地の歌》の登場です。今回も SFS より直接購入。一般発売の 9/9 より、約一週間前に届きました。送料入れて $31.40 でしたので割高感はありますが、SFS へのお布施の意味も込めております。(日本での発売は遅れて、今のところ 9/23 の予定のようです。)
この《大地の歌》は、一般的なテノールとメゾ・ソプラノという組み合わせではなく、スコア上で許可されているテノールとバリトンという組み合わせによる演奏です。男声デュオによる《大地の歌》というと他にバーンスタイン盤とラトル盤を思い出しますが、トーマス・ハンプソンはラトル盤にも参加しており、12 年ぶりの再録ということになっております。比較して聴いてみると、ハンプソンの歌いっぷりは基本的には変わってなさそう。しかし伴奏の違いというのもあるものの、ラトル盤より伸び伸びと歌っているように思いました。特に第 6 楽章『告別』のお終い 5 分は、ラトル盤ではかなり押さえているような歌い方でしたが、今回の演奏では十分歌い込んでいるようです。そもそもこの部分は、想像以上にオーケストラのダイナミクスを押さえて書いてあり、バランスの難しいところです。巷の演奏は実は盛り上げ過ぎが多いのです。ティルソン・トーマスは楽譜通りオケを押さえ (それでもまだ強さがありますが)、ハンプソンに音楽を託します。ハンプソンもそれに答えますが、ちょっと音の切れ目に弱さが見えるのが気にならなくもありません。
そして肝心な若手テノール歌手のスチュアート・スケルトンなのですが、なかなか立派な歌唱を披露してくれています。それこそ往年の名テノールと比べれば物足りないのは事実ですが、発声や音の当て方、ビブラートのかけ方に変な癖はなく、表現の幅に磨きがかかれば、なかなか有望な歌手ではないかと思いました。後でご紹介する記事によると、ハンプソンより声量がなく心配されたようですが (記事にははっきりとは書かれていませんが、MTT はアドバイスを書いた封筒をスケルトンの楽屋のドアに貼り付けたりしていたそうで、かなり問題があった感じ)、コンサートでは魔法がかかったように素晴らしくなったそうです。
この演奏の特徴は、一筆書きのような滞りない流れが一貫してあると言うこと。最初聴いたときは、あまり引っかかりが無くサラッと流れていく演奏だなぁと感じたのですが、何度か聴いていると、ちゃんとそこに激流も濁流も清流もあり、それが実に見事にひとつの流れとして収まっているのです。この感覚が非常に心地良く、かつユニークだなと思いました。ブーレーズも滞りない演奏だったようなと思い、改めて聴き直してみましたが、MTT を聴いてしまった今となっては、流れという点では遠く及ばない演奏にしか聴こえず、それどころか硬直して不自然さすら感じてしまいました。
この《大地の歌》という作品は、様々な形のアルペジオ、低弦の明滅を繰り返す 5 度や 3 度のインターバル、特に第 2 楽章、第 3 楽章に特徴的な流れるような伴奏音型など、留まることなく変化しながら流れている音符で埋め尽くされており、それが下降音型が支配的な旋律線を彩ることで、移ろいゆく死への哀歌というもの悲しい雰囲気を獲得しています (第 6 楽章はまた別の要素が加わるのですが)。MTT の作り出す、様相を変化させながらも常に流れている音楽は、この曲想に非常にマッチしており、美しくも儚いという曲想を強調するようです。それはアルペジオを上手く聴かせているというような表面的な事ではなく (どちらかというとアルペジオはあまり聞こえない)、テンポ設定とそれに同調する "音の向き" によって生み出されるものであり、根気強い練習抜きには達成されないものでしょう。流れが淀みないので速い演奏に聴こえなくもないのですが、トータルタイム的には一般的な範疇です。躁鬱状態を大きく行き来するような演奏ではなく、安定した流れの中に、わびさびを入れていくような演奏と言えそうです。
この録音は 2007 年 9 月 26 日〜29 日の 4 回の演奏会の間に収録されたもので、その時の模様がこちらの記事で読めます。それによると、演奏会終了後 MTT はエンジニアよりその日の公演を収めた CD を貰って帰り、次の日、演奏上あるいは録音上の改善点をまとめたメモを持ってくるのだそうです。この 4 回のうちにベストなパフォーマンスを生みだそうと、エンジニアも奏者も必死な様子が読み取れます。さらに演奏前に MTT は聴衆に向かって「これから録音をします。どうか、携帯電話の電源は切って、咳も楽章間でのみするようお願いします」と聴衆にもベストな状態を要求しています。残念ながら第 2 楽章の冒頭で時計のアラーム音が収録されていますが、記事によるとオーボエ奏者がソロにとてもナーバスになっていたそうで、恐らくこのテイクがベスト・パフォーマンスだったため採用したのでしょう。
またこの記事は録音の技術的なことにも触れてあります。まず 38 本のマイクから送られてくる音声を、トーンマイスター (バランス・エンジニア) のピーター・ランガーがその場でミキシングしていき、2 チャンネル DSD フォーマットに記録していく。そしてその 4 日分のベース素材から、MTT の指示の元、最終的な形に仕上げていくのだそうです。そしてどれにも同じ様なミスがある箇所は、最終日のコンサートが終了しお客さんが帰った後、ホールで録り直しを行う。さらにバックアップとして PCMレコーダーに 38 トラック分の素材をそのまま記録しておき、後でミックスを「いじる」必要があったときは、その素材をアップコンバートして使うのだそうです。ライブ録音でありながらも、素材に妥協を許さない姿勢はスタジオ録音並で、今日日これだけの姿勢でもって録音に望むプロジェクトはそうそう無いんじゃないかと思えます。
録音は、従来通り情報量が多く肌理が細かい優秀録音であります。今まで感じられた低域の量感不足も感じなくなりました。CD レイヤーでこれですから、SACD だと一体どうなっているんでしょう。但し第 6 楽章の 12'04" のところで、1 拍ほどかなり不自然に高域が落ちている部分がありました。ノイズでも消したのでしょうか。また 27'11" あたりのチェロも無理矢理音を拾ったという感じになっていますが、これが "パッチ" を当てた PCM 素材なのでしょう。
この《大地の歌》は分裂質だったり躁鬱質だったりするような演劇調のありがちな演奏ではありません。向こうから語りかけてくるのを期待してぼやっとしていると、いつの間にか終わってしまうような、水や空気のような演奏とも言えそうです。しかしその流れに足を入れれば、心の底まで痺れてくるような心地よさとやるせなさに浸ってしまう、得体の知れぬ魅力に取り憑かれてしまいます。私はしばらく他の同曲異演盤を受け入れられそうにありません。
さて、今月から始まった今シーズンで、ようやく第 8 番が録音されます。一番の問題は歌手でしょう。今度こそ上手くいき、無事リリースされることを願います。後は第 10 番のアダージョを録音し、どういう組み合わせになるか判りませんが、録音済みのオーケストラ付き歌曲とともにリリースされるのを待つのみです。
2008年9月13日 12:28
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