« バーンスタイン:管弦楽曲集/大植英次 [RR] | カバーページ | ショスタコーヴィチ:交響曲第 10, 5, 6 番/ウィッグルスワース [BIS] »
マーラー:大地の歌/大植英次 [RR]
マーラー:
大地の歌
ミシェル・デヤング (A)、ジョン・ヴィラーズ (T)
ミネソタ・オーケストラ
REFERENCE RECORDINGS RR-88CD (66'34")
1999 年 2 月 16-18 日、ミネアポリスのオーケストラ・ホールで録音。
一時期前のマーラー演奏のトレンドは楽譜通りに演奏することだった。各楽器によってクレシェンドやデクレッシェンドの位置が微妙に違うことや、ダイナミクスの差異、アクセントや sfz sfp などの違いを出すことが至上命令となり、分裂的でグロテスクな演奏がマーラー的としてもてはやされていた。僕は全然好きになれなかったけどインバルのマーラーはそういう意味で時代をリードしてたらしい(の割には 1 番の終楽章のティンパニの掛け合いが落ちても、そのままにしていたのはなぜか。ほとんどの曲で露骨に落ちたり間違ったりしてしているのに)。前にも書いたがそういう方向性の演奏は、確かに発見はあったが、それ以上のものではなかった。マーラーの足の裏を見せていただいたようなもんだった。しかし、前回のティルソン・トーマスやこの大植英次の演奏を聴いて、マーラー演奏は次の時代に入ったと感じた。この記事を書くためにスコアを見ながら聴いているのだが、どちらの演奏もほぼマーラーの指示通りに演奏しているが、それら細かい指示が、グロテスクどころか、曲に精彩を与えるのに十分寄与している。オーケストラも指揮者も、それらの指示を十分消化し、どのように演奏すべきか(すくなくともマーラーがどのような意図を持っていたか)、明確に理解しているように思う。大植がどのくらいマーラーを演奏したことがあるのか知らないが、こういう若い世代の指揮者かこのような演奏を残せること自体、時代が進んだ証拠だ。ミネソタは歴史のあるオケだからオケの理解も進んでいるのだろう。
さて、大植の演奏だが、特に目新しい解釈はなく、そういう意味で正攻法な演奏である。それでも 1 楽章「大地の哀愁をうたう酒の歌」などでは大胆な rit. を効かせたり、最後の ff 一発も気合いの入った一撃を食らわすなど、所々にこだわりがあって楽しい。アゴーギグの付け方などはバーンスタインのに近いかもしれない。長丁場である 6 楽章「告別」にある、2 連符 3 連符 4 連符が複雑でしかも「流れるように」と指示のある箇所( 1 つで振ったり 3 つで振ったりしなければならない難所)も、やや速めのテンポながら確実にオケをコントロールし、情感たっぷりに演奏していてすばらしい。この辺もバーンスタインのやり方を思い出させる。半ば過ぎに出てくる葬送行進曲は、『大地の歌』の中で作曲技巧的に一番陳腐な部分と感じるんだが、丁寧にマーラーの発想記号や音符の変化を描きわけ、飽きさせずにグイグイと引きずり込んでいく。大植の特色はこの丁寧さだと思った。大植の日本人の部分が、このオリエンタル・チックな曲に生かされているかというと、そのような部分は微塵もない。それはそうだ、この『大地の歌』はリ・タイポウ(漢字が判りません)の詩(のドイツ語訳)を使うことと、要所要所に四七抜きの旋法を使うこと以外は、まるっきり西洋音楽なのだから。
大植の『大地の歌』のキズはテノールのヴィラーズだ。ライナーを読むと、アバド、バレンボイム、ブーレーズなどとの共演のことが書いてあるので、売れっ子ではあるようだが、これで聴く限りそんなに上手くない。まず歌い方が平板。抑揚がほとんどない。ドラマチックにならないしリリックにもならない。声質は良いと思うが、発声に時間がかかる。そのためにリズムも正確さを欠く。1 楽章はまだいいが、3 楽章の「青春について」は、ぺたぺたとした歌い方で、遅れたり急いだり、全然青春でない。マーラーで発音がだらしないのは、声楽でも器楽でも最悪である。器楽では、スピード感ある発音をしないと全然マーラーらしくならない。5 楽章の「春に酔えるもの」もオーケストラは表現に幅があり秀演なのに、ヴィラーズは同じフレーズを同じ調子で教則本をやるかのごとく単調に歌うばかりで、全然酔えない。確かにテノールのパートは繰り返しが多いが、その繰り返しの差を表現しなくては繰り返しの意味が無いではないか(楽譜上では毎回違った指示が書いてあり、歌詞も違うのに、それ以上に変化に乏しい)。この曲は、同様の節が 6 回繰り返され、そのオーケストレーションや雰囲気の変化が非常に聴きものなのだが、大植は良い雰囲気を作っているだけに、非常に勿体ない。発音も子音が立ってないので、ドイツ語らしく聞こえない。
アルトのデヤングも若手ながら売れっ子のようだが、こちらの歌唱は安心して聴いてられる。難所である 4 楽章「美について」の早口言葉は、大植はそんなに煽らず、十分歌える速度に納めている。まあここは、歌よりスピード感が重要なところとだから、ついてこれなくてもしょうがないというところではあろう。やはり、表現にもっと幅があると良いとは思うが、テノールがテノールだけに、十分聴ける。
録音は、以前に書いた「バーンスタイン・アンソロジー」と同等の特徴をもつ。ホールトーンが豊かで音場感も良い。個々の楽器も明瞭で特に打楽器の存在感が良い。6 楽章「告別」の最後("ウォータンの魔の炎の音楽" の部分)で初めて出てくるチェレスタも効果的に良くとらえられている。このチェレスタのおかげて第 8 交響曲での天上のイメージへと繋がっていくようだ。タムタムの量感、響き、広がり感も巧くとらえている。オーケストラの配置はモダン。独唱者はオケより巨大に思える。特にヴィラーズが声を張り上げたときはオケと同じくらいのサイズかと思える。小さめの声の時は等身大で、指揮者の横で歌っている感じになる。独唱者のサイズの不自然さを抜かせば優秀録音だ。この CD も 24-bit HDCD 収録である。
全体としては録音の優秀さと大植の端正な曲作りで秀演である。ヴィラーズもオーケストラのテノールパートくらいのつもりでいれば、聴けないこともない(つまりオケだけに集中して聴くと言うこと)。あとジャケットの絵に漢字で「大地之歌」と書いてあるが、字も下手だし、これ不要だと思う (ひょっとして大植氏の自筆?)。
1999年10月 1日 18:20
この記事はどうでしたか? Bad ← 1 2 3 4 5 → Good
評定平均:(3.1) 投票人数:(148)
« バーンスタイン:管弦楽曲集/大植英次 [RR] | カバーページ | ショスタコーヴィチ:交響曲第 10, 5, 6 番/ウィッグルスワース [BIS] »
トラックバック
トラックバックスパム防止のため、末尾の XXXXXXXXX 部分を上記画像の数字に置き換えてからご利用ください。お手数ですがご協力よろしくお願いいたします。
トラックバックが反映するまで時間がかかるかもしれませんし、エラーが出ても受け取れているかもしれません。重複トラックバックはこちらで削除しますので、特にコメントは不要です。
このリストは、次のエントリーを参照しています: マーラー:大地の歌/大植英次 [RR]:
» 大地の歌 聴き比べ(1) from 節操のないクラシック音楽嗜好
大地の歌、下記を聴き比べた。 Bruno Walter/Kerstin Thorborg(conralto)/Charl [続きを読む]
トラックバック時刻: 2009年7月31日 23:25
コメント(1)
投稿者 pp : 2009年2月18日 02:24
コメントがありましたらどうぞ
メールアドレス・URL は必須ではありません。コメントは管理者が承認してからページに反映されます。 もしページへの表示を望まない場合は、その旨一筆添えて下さい。削除は管理者へ依頼して下さい。

今日サントリーホールでマーラーの5番を聴いたけど、よくなかったな。演奏は決して悪くなかったが、大植氏はこけおどし系で、無意味な停止ややたらなあおりでマーラーの情感がしらけてた。それなのに、客の入りはよいし(ただ切符もらったスーツ族風がおおかったけど)、演奏うんぬんでなく、なんかシンパっぽかったな。西本女史とにた感じ。いつものサントリーホールと空気が違った。大阪には聞きに言ったことないけどこういう宝塚的空気なのかな。