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プロコフィエフ:ピアノ協奏曲全集聞き比べ
ピアノ協奏曲全集 (第 1 ~ 5 番)
アシュケナージ (p)/プレヴィン指揮/ロンドン交響楽団 (DECCA)
トラーゼ (p)/ゲルギエフ指揮/キーロフ管弦楽団 (PHILIPS)
ベルマン (p)/グティエレス (p)/ヤルヴィ指揮/ロイアル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (CHANDOS)
など
今回はリクエストを戴いた、プロコフィエフのピアノ協奏曲全集をお送りします。CD は何種類か出ており十分コンプリートも可能な数ですが、流石に全部は買ってられません。しかし有名どころは押さえていると思いますので、持っている CD 全部の紹介と、曲目の紹介をしたいと思います。何かのお役に立てて下さい (^^;。
プロコフィエフのピアノ協奏曲は全部で 5 曲あり、中でも 1 番と 3 番が有名。特に 3 番は数あるピアノ協奏曲の中でも演奏頻度のかなり高い超有名曲なのはご存じのことでしょう。全 5 曲を十分に聴き込んでも、確かにこの 2 曲の素晴らしさは抜きん出ておりますが、他の作品も十分魅力的であり、2 番・4 番などなかなか面白い曲です。私の中でのピアノ協奏曲全曲盤収集の旅は、このような "ちょっと落ちる" 作品を面白く聴きたいという衝動に突き動かされての行為と言えるでしょう。
まず簡単に曲目解説を。
1 番 (Op. 10) は学生時代に書かれた作品。といって若書き感は全くなく、若々しい力強さや疾走感に溢れた作品で、プロコフィエフらしさも十分感じられます。自身ピアノ演奏を得意としたプロコフィエフのそのヴィルトオーゾ性を発揮した作品ですが、メカニカルで叩き付けるようなパッセージが多いピアニスト泣かせな作風は、既にこの頃から聴き取れます。単一楽章の曲ですが、急-緩-急の古典的な三楽章形式を踏襲しており、主題も性格もはっきりしているので音楽的には聴きやすく分かりやすい作品です。中間部のアンダンテなど、胸にジーンとくるドラマチックな曲です。
2 番 (0p. 16) は 1 番の 2 年後 (1913) に作曲されましたが、初演時の評判はかなり悪かったようです。その後ロシア革命のごたごたなどで 1918 年にプロコフィエフはアメリカへ亡命しますが、アパートに置いてきてしまったオリジナルスコアを住民に燃料として使われてしまい焼失。第 3 ピアノ協奏曲完成後の 1923 年に「記憶をもとに」新たに書き起こされたものが、現在聴かれる「改訂版」なのです。1913 年版は現存せず、本当に同じ曲なのか興味が湧くところですが、1923 年版とはかなり違うというのが定説のようです。この作品は、自殺したピアニストで彼の親友マクシミリアン・シュミトゴフとの個人的な想い出が色濃く反映されているとのこと。「たったいま、自分を撃ったところだ」という遺書めいた手紙を受け取った顛末を含め、詳細はゲルギエフ盤のトラーゼの解説に詳しく載っています (国内盤に邦訳が載っているかは不明)。
曲は 4 楽章形式。1 楽章ではラフマニノフばりの濃厚な音楽を聴かせます。オーケストラは完全に伴奏に徹し、とにかくピアノがメインの曲。さらに展開部ではオケは完全に沈黙し、ピアノのソロだけで展開部を構成します。展開部はカデンツァと一体化し、この長大な展開部は完全にピアノソナタ状態。展開部の締めくくりでようやくオケが加わり、一瞬爆発的に盛り上がりはするものの、すぐ再現部に入り、それもコーダと呼んだ方が相応しいほどのささやかなもので、あっけなく終わります。しかしこの長大なピアノソロが圧巻という、激しく型破りな曲です。2 楽章はスケルツォ。3 部形式ですが、ピアノの 16 分音符のパターンが終始止むことがない一気に駆け抜けていく曲。3 楽章は「間奏曲」。ロシア風の広大感漂う葬送行進曲。大魔人とか出てきそうな曲ですが、スキタイ組曲や交響曲第 3 番などに繋がる雰囲気もあります。終楽章は機械的な開始部で、《幻想交響曲》と 1,2 を争う凶暴なトロンボーンのペダルトーンも聴きどころ。中間部はニ短調の物憂げな雰囲気になり、1 楽章のような長大なピアノソロがまた始まそうになりますが、ほどよくオケに引き渡されていきます。カデンツァの後、冒頭の激しい音楽が戻りそのままフィナーレ。個人的な想い出で綴られている作品ですが、十分普遍性もあり、全作品中最も深い余韻を残す作品ではないでしょうか。
3 番は有名曲なので簡単に。古典的な 3 楽章形式で、作風もコンチェルトの王道を行くもの。1 楽章はとりあえずソナタ形式ですが、展開部が展開部らしいのは序奏を展開している部分のみで、それ以降は規模的には展開部のようですが調性的にみて再現部として機能しており (展開部+再現部では第 1 主題が主調であるハ長調になっているし、第 2 主題も主調の同主短調であるハ短調 (提示部ではイ短調) となっている)、2 部形式に近くなっています。プロコフィエフはこういうの多いです。2 楽章は序奏と変奏曲。これもプロコフィエフお決まりのパターン。3 楽章は冒頭の主要主題が、亡命の途中日本に立ち寄ったとき聞いた「越後獅子」をヒントにしていることで有名。(広く流布している話ですが、特に根拠の無い噂と判明) 形式としてはロンド形式となるでしょう。「越後獅子」のリトルネッロとそれに挟まれたエピソードの対比が鮮やかな曲です。
4 番と 5 番はフランス亡命中に書かれた作品で、洒落た雰囲気を醸し出しています。4 番は第一次大戦で右手を失ったピアニスト、ポール・ウィトゲンシュタインの依頼によって「左手のための協奏曲」として作曲されました。ウィトゲンシュタインはラヴェルなどの著明な作曲家に「左手のための」作品を依頼、しかしラヴェルの作品を "簡単にして" 演奏したのみで、プロコフィエフの作品も「1つ理解できない音がある」などと言って演奏しませんでした。プロコフィエフもそのまま作品をしまい込み、作品が日の目を見たのは作曲者の死後 3 年が経った 1956 年になります。
ピアノは左手だけという制約のため、それまでの作品と比べるとオケの活躍が目立つ曲で、ピアノは裏方にまわる部分が多いです。それでもオーケストレーションはシンプルで、管楽器、弦楽器、ピアノの役割分担も巧妙なため、ピアノの薄さが目立つことなく、逆に片手だけで良くこれだけ音を出せるなと思わせる、存在感のあるピアノパートが聴けます。これまでの作品とはうって変わって軽妙な曲なのが面食らいますが、2 楽章アンダンテでは《ロメオとジュリエット》を彷彿とさせる、ねっとりと甘美に盛り上がる美しい曲が聴けたり、また違ったプロコフィエフらしさを聴き取れます。音を切りつめているために清楚な気品も漂わています。面白いのは、終楽章が 1 楽章の再現になっている点で、1 楽章をそのままさらにコンパクトにしたような曲になっています。エピローグといった軽い雰囲気で、全曲を円環に閉じこめるようにして終わります。かなり独特な構造。内容的にはソナタ形式である 3 楽章が、規模も大きくダイナミックで、全曲のクライマックスを形成しています。
5 番はちょっと取っ付きにくい曲です。4 番の翌年に完成し、初演はベルリンでフルトヴェングラーの指揮と作曲者自身のピアノで行われましたが、その作曲者ですら「ピアノのパートを憶えるのに苦労した」と言うほど複雑な曲です。初めは 3 番のような判りやすいものにしたかったようで、主題など一見素朴な雰囲気なのですが、3 番の頃とは環境も時代も変わってしまい、主題の分かりやすさの反面、曲自体はかなり複雑で判りにくいものとなってしまったのが取っ付きにくい主要因ではないかと考えられます。4 番と違い (反動か?) 常にピアノが主導権を握るような書き方がされています。
曲は 5 楽章形式で、従来のピアノ協奏曲という枠組みから外れようとする試みが見られます。1 楽章冒頭の音色旋律風のオケ伴奏がまず印象的。バロック調のトランペットの旋律も耳に残ります。2 楽章も金管による重いマーチリズムが特徴的です。3 楽章は 1 楽章と同じ題材で作られており、ひょっとすると 1 楽章の展開部を独立させて 3 楽章にしたのではないかと思えるような曲。4, 5 楽章では作風が若干変わります。 4 楽章は 4 番の緩徐楽章と似て《ロメジュリ》風。終楽章は、主要主題が 3 番の《越後獅子》に回帰しようとするような雰囲気を持っています。予測の付かないような展開をするので、芸の細かさの割りには演奏効果があがらないように思えます。それでもロ短調の旋律的短音階と自然的短音階を交互に繰り返すだけの部分など印象に残る部分は数々あるので、構成の物足りなさは演奏解釈によって補って欲しいところです。

アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団
DECCA 425 570-2
録音:'74-'75
プロコフィエフのピアノ協奏曲全集といったら、やはりまずこれが定番でしょう。良くも悪くも規範的な演奏で、目茶目茶面白いことも無いかわり、聴いていてつまらないものでもない。吹奏楽コンクールでの佼成ウィンドの模範演奏みたいなもの。いわゆる平均点な演奏で、レコ芸の名曲名盤みたいな方法で選ぶと、必ずみんながちょっとずつ点を入れ結局 1 位になってしまうような演奏です。本稿の狙いも、全曲はこれしか聴いたことなくプロコフィエフはこんなもんかと思考停止してしまった方に、他の演奏にも興味を持ってもらおうというのが狙い。それでも、あれこれ聴いた後にまたこの演奏に触れると、それなりに示唆されることもあり。
1 番はちょっと音が悪いです。若干こもりがちで鮮度の悪い音です。ピアノに頭を突っ込んで聴いているような音で、平板で大味に聴こえます。プレヴィンの叙情的で立体感あるサポートも功をそうしていません。演奏は悪くないので、リマスターリングを期待したいところ。
2 番は端正な演奏で、曲への共感というより曲自体の美しさの方が良く見える演奏です。スコアの全ての音が聴こえるような演奏で、音楽の隅々まで構造的に見渡せます。叙情性なども充分ですが、ドラマチックな部分でも落ち着いていて、アシュケナージのピアノも隅々までしっかり音はでているものの、もうちょっと感情的な表現がされてもいいのではないかと思えなくもありません。
3 番は、ピアノが近くてオケが遠いバランスなのが、かなり損をしていると思います。ガッチリとした硬質な演奏でこの曲の機械的なイメージには合っていますし、ハーモニーや調性感、またオーケストレーションの細かい部分も充分に聞き取れる演奏なので、曲を憶えたり分析的に聴く分には最良です。しかし雰囲気などの "行間" をあまり感じられない演奏です。
4 番は力を抜いた洒落た雰囲気がなかなか良いです。その中にもアクセントとなる部分をしっかり作り、句読点のはっきりした目鼻立ちのある演奏となっています。全体的に明瞭すぎて、スコアと共に聴くには良いですが、もうちょっと音楽的に濃い部分もあっても良いのではと思えなくもありません。一番の問題は録音 (マスタリング?) にありまして、4 楽章の途中から (6分を過ぎた頃からじわじわと) 左チャンネルのレベルが落ち (中高域がこもる)、聴感上のセンターが右に寄ります。この状態は 5 楽章が終わるまで続きます。今のマスターでは直っているのでしょうか。
5 番も堅実明瞭な演奏です。新古典主義的なあっけらかんとした演奏で、判りやすい反面安っぽい印象も受けます。もっともこの作品を素直に読めばこういう演奏になるとは思いますが。3 楽章でのピアノのソロで、プロコフィエフはアルペジオと前打音を使い分けているにもかかわらず、アシュケナージは全てアルペジオで弾いています。

ワレリー・ゲルギエフ指揮
キーロフ管弦楽団
PHILIPS 462 048-2
録音:'95/7 (2,5), '96/7 (3,4) '97/7(1)
くすんだ音色のオーケストラでプロコフィエフ的な色彩感には乏しいですが、かなりクセのあるトラーゼのピアノと、在り来たりな演奏では済まないゲルギエフの棒が相まって、ユニークな演奏に仕上がっている全集です。トラーゼのピアノは、楽譜をかなり恣意的に崩す部分があり、特にカデンツァ的にピアノが裸になる部分では、聴いたことがないような音楽になったりもします。ジャズっぽくスイングしたり、即興的に激しいアクセントが入ったりと自由自在でしなやかな演奏は、表現の可能性を感じさせてくれます。ゲルギエフの棒は、ソリストを喰ってしまうようなスリリングで独善的なものではなく、トラーゼの表現を巧くサポートしつつ、所々で自分流の味付けをするような割と控え目なもの。全体的にトラーゼのカラーが強い演奏ではないかと思えるのですが、このような演奏が出来るのはゲルギエフのサポートがあったがためという共生関係の賜物でしょう。
第 1 番は緩徐部に特徴があります。2 楽章のアンダンテなど実にゆっくりと情感たっぷりに始まり、感情の赴くままに激しく盛り上がり、また夢見心地になったりと、そこまでやっていいのかと思えるほどドラマチック。いきなりトラーゼ/ゲルギエフの真骨頂といったところ。派手な部分もかなり派手にやっており、なかなかエグイ演奏です。
第 2 番は、ライナーノートでトラーゼが特別にこの曲に付いて解説しているように、トラーゼが最も演奏したかった曲なのではないでしょうか。1 楽章は内面宇宙へぐぐぐと踏み込んでいく奥深さがあります。しかしピアニストの訴えかけが激しくなればなるほど音楽が辛気くさくなっていきます。まるでモノクロームの写真のようで色気がありません。展開部最後のオケの Tutti はかなり音が汚いです。2 楽章は雰囲気の微妙な変化が無く画一的。3 楽章も重い雰囲気が常にのしかかっており、聴き疲れします。後半に向かうにつれそのプレッシャーは際限なく強まり、死にそうです。終楽章ではちょっと雰囲気を変えて...、という訳にいきません。さらにヒートアップし、さらに激しく重苦しさを増していきます。まるで一息のブレスで深海まで素潜りさせられるみたい。怪演には違いありませんが、聴く人を選びそうです。トロンボーンのペダルトーンは一番迫力があって素晴らしい。
第 3 番はかなりごつい演奏で、これがプラスにもマイナスにも作用しますが、ダイナミックさにかけてはピカいちな演奏です。1 楽章はリズムの畳みかけが重くタイトで、激しい演奏です。テンポの変化が細かく絶妙で、音楽の各パートを上手く照らし出しており、雰囲気の作り方も上手いです。2 楽章はがっちりしすぎとも感じますが、第 5 変奏での盛り上がりは凄まじいものがあります。3 楽章も、華やかというよりエネルギッシュで過激。《田園》という副題が付くこともあるらしい 3 番ですが、この演奏に限って言うなら《田園をけたたましいエンジン音を立てて爆走していくハーレー》とでも言った方がしっくりくる演奏です。
第 4 番もなにもここまで気張らなくてもと思ってしまう演奏です。1 楽章など「特急電車通過しま~す」な感じで、つまり自分の近くを凄い質量の物体が高速で通り過ぎていくけど、強烈な風だけを残しただけで自分には関係なかった、というような演奏です。しかしその勢いが、続く 2 楽章のアンダンテを引き立てます。これも実に気合いの入った演奏で、アンダンテというよりアダージョですね。その瞬間瞬間はじつにごもっともな表現を展開していますが、濃密なシーンがいつまでも続くので、かえって間延びしてしまうよう思えます。曲もこのテンポに耐えられなくなっているよう。3 楽章はいまいち消化不足。雑然とした感じになっています。4 楽章も主題の複雑なブリッジが上手く整理されていません。全体的に見て、何か新しいことをしてやろうという気持ちだけが空回りしているように思えます。
第 5 番はオーケストラが大味です。アンサンブル自体は問題無いですが、音が投げやりで、細かい変化が聞き取れません。ダイナミクスも楽譜通りではないというか、大雑把です。特に 1,5 楽章は曲想が目まぐるしく変化し、しかも新古典主義的な作品なので、かっちりと、目鼻立ちをくっきりと演奏しないと、何をやっているのか判らなくなります。ゲルギエフの作り出す音楽的な勢いは良いのですが、器楽としての芸の細かさも堪能できるような演奏が聴きたかったです。プロコフィエフはこの曲を、協奏曲というより伴奏付きのピアノ曲と言っていたようですが、確かにこのオケは伴奏の域を出ていません。でもまあ、ゲルギエフのスピード感や迫力はかなり魅力的なので、多くを求めなければ充分楽しめます。

オラシオ・グティエレス (p) (第 2 番・第 3 番)
ネーメ・ヤルヴィ指揮
ロイアル・コンセルトヘボウ管弦楽団
CHANDOS CHAN 8791(1,4,5) CHAN 8889 (2,3)
録音:'89/5/8-12 (1,4,5), '90/5/7,8,11&12 (2,3)
この全集はなかなか侮れません。2 人のピアニストが CD 1 枚ずつ分け合っていますが、これは録音時期が違う関係からでしょうか。ベルマンのピアノは自己主張を余り感ぜず、オケのピアノパートのような、従順な弾きっぷりです。が、ベルマンの担当した曲はオケとの親和性が重要な構造的でメカニカルな部分が多いものなので、弱点とはなっていません。一方グティエレスはピアノで音楽を引っ張っていく力強さがあり、2 番 3 番のようなピアノ中心で音楽が展開していく曲には持ってこいでしょう。
まず第 1 番ですが、冒頭の Tutti が汚くて重々しくて雑なのを除けば、重厚で歯切れ良い演奏が、この曲から新たなアイディアを引き出してくれます。あまりこういう重い演奏はこの曲向きではないと思うのですが、アクセントを強調したりと所々演出過多なこの演奏は、なんとなく違うよなと思いつつも面白く聴けます。
第 2 番はなかなかの怪演です。ヤルヴィらしくなく (^^; 早めのテンポで曲を引っ張っていき、音楽のテンションを高いまま維持しています。これはピアニストのグティエレスのテンポかもしれませんねぇ、引き締まった演奏です。1 楽章のラフマニノフっぽさも良くでていますし、長いソロ部分もスケールが大きくヴィルトオーゾぶりを発揮した演奏です。展開部の最後にオケが戻ってくる強奏は結構汚い演奏が多いのですが、この演奏は燻し銀の迫力ある音響で充分カタストロフを味合わせてくれます。2 楽章は速いテンポのなかコンセルトヘボウの伴奏が絶妙で、目覚ましい効果をあげています。3 楽章以降もピアノの迫力と、オケの巧さで、2 番は 1 楽章だけじゃないということを充分見せつけてくれます。トラーゼ/ゲルギエフのような内面に向かう演奏とは違い、外側へエネルギーを放出する力強さを秘めた演奏で、プロコフィエフらしい色彩感と相まって素晴らしい演奏になっています。
第 3 番は、硬質でかなり派手な演奏です。休むことなく鍵盤をぶっ叩き続けるこの曲のピアノですが、まあ録音だからかもしれませんが、とにかくいつまでも派手に鳴りまくります。アバドのような耽美的な雰囲気はまるでなく、常にエネルギッシュ。それでも名盤であることを約束されたような組み合わせの演奏より、私はこちらの職人芸的な演奏の方が好ましく思えます。この演奏でもやはりオケのサポートが冴えます。埋もれがちな旋律が見事に浮き上がり、プロコフィエフの多面体な曲作りに見事に照明があたり、様々なスペクトルを見させてくれます。
第 4 番はかなり巧い演奏です。両端楽章はあまりこだわらず、テクニカルな面白さで聴かせていきます。特に 4 楽章のピシッと決めるさりげなさは素晴らしい。またプロコフィエフらしい大太鼓がかなり出てきますが、うまく録音されています。2 楽章では《ロメオとジュリエット》のようなロマンチシズムを出しながらも溺れることなく、早めのテンポで曲のフォルムが判りやすく、ストーリー性を感じられる説話的に大変優れた演奏です。3 楽章も音楽的なキャラクタの切替が巧く、錯綜した音楽を見事に紐解き、聴き応えのある演奏をしております。
とらえどころの無い 5 番ですが、かなり聴き応えのある曲に仕上げています。1 楽章頭のトロンボーンが半拍遅れたりしていますが、コンセルトヘボウの見事な演奏がまず聴き所。基本テンポをあまり早くせず中庸なところに設定し、曲の変わり目で緩急を深く付けるやり方は、一本調子になりがちなこの曲ではかなり効果的です。2 楽章、3 楽章は最初のテンポを決めてしまうと指揮者の解釈の入れようはあまり無い曲ですが、コンセルトヘボウの妙技だけで充分ごはん 3 杯喰べられます。特に 3 楽章ではリズムパターンの変化だけでかなりエキサイティングできる演奏です。4 楽章もリリシズムあふれる開始部から激しく盛り上がる中間部へとドラマに富んだ演奏です。
楽譜通りで規範的なアシュケナージ/プレヴィンの演奏と、自由奔放でダイナミックなトラーゼ/ゲルギエフの演奏の中間的な演奏ではないかと思えます。録音はくせのある響きがまとわりつく CHANDOS サウンドですが、悪くはありません。

クルト・マズア指揮
ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
EMI 7243 5 69452 2 7
録音:'74/1-4, '81/7
EMI ですし、ジャケットからも音質の悪さは想像つきましたが、これがかなりのドンシャリでザラザラしており酷かったです。しかし、こもりまくりで音場感のおの字も無いような録音よりはかなりマシ。楽音は五月蠅いくらいはっきり聴こえるので、音楽としては楽しめます。音質にこだわらなければ、価格対効果のかなり高い全集です。ピアノ協奏曲の他に《束の間の幻影》op.22 と《ヘブライの主題による序曲》op.34 というあまり聴かれない作品が収録されているのも嬉しいところ。
演奏は全体的に洗練されており、スピード感や切れの良さや迫力など申し分無いですし、叙情性もトレーゼのような切々とした雰囲気というより、さり気なく歌い込むような格好良さを感じます。録音でかなり損をしている演奏です。細かい部分は後ほど追加したいと思います。
あとは Naxos のアルバムとメータ盤あたりを聴いてみたいと思いますが、暫くこの作品から離れたいというのが正直なところ (^^;。
聴いてきた中では、演奏内容と録音からヤルヴィ盤がお薦めできます。録音はどうでも良ければベロフ/マズア盤も良いです。同じ 2 枚組みですが値段はヤルヴィの 1/4 ほどですし。プロコフィエフらしくない重たい演奏が聴きたいのならトラーゼ/ゲルギエフ盤でもどうぞ。
2004.7.23
関連記事:
プロコフィエフ:交響曲全集比較
2008年4月16日 10:45
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