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マーラー:交響曲第 7 番/ティルソン・トーマス [BMG]

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マーラー:
交響曲第 7 番

マイケル・ティルソン・トーマス指揮
ロンドン交響楽団
BMG 09026-63510-2 (91'05")

 1997 年 11 月 11-13 日、ロンドン、ウォルサムストウ・アセンブリ(会議場)・ホールで録音。2 枚組だが価格は 1 枚分である。もし 2 枚組の値札が付いていたらそこの CD 屋では買わないようにするか、抗議しよう(以前だまされそうになったことがある)。国内盤はどうか知らない。

 ティルソン・トーマスというと知的でよく練られた演奏をするので、このマーラーもそんなもんかなと思って聴いてみたが、それ以上にディオニソス的なマーラーであった。考え抜かれた、そして練習もしまくった演奏、それだけでも見事なマーラーなのだが、所々それを超える瞬間が訪れる。以前サントリーホールで彼のマラ 9 を聴いたことがあるが、その時ももの凄い集中力でオケと指揮者が一体となった名演であった。オケで演奏したことがある人なら判るだろうが、指揮者とオケが一体になれたと感じられることは以外と少ない(プロでもきっと同じだろう)。指揮者も演奏者もその一瞬一瞬の処理で大変である。緊張感や集中度が持続し浸透し発展することはなかなか難しい。ところが何かの弾みで指揮者と演奏者の集中度が交わることがある。一種のトランス状態だ。その瞬間に、もともと曲に内在しているのではないかと思える波長に合うことがある。バーンスタインのいう "オーガズム" もこういうことを言うのだろう。この感覚を一度体験したら、オーケストラはやめられない。トーマスのマーラーを聴いたときもそのことを感じた。

 トーマスの演奏で感じるのは、スコアに対するその嗅覚の鋭さだ。適切なテンポ、適切なバランス、適切なデュナーミクを的確に把握し表現する。マーラーの 7 番の場合、1, 5 楽章、特に 5 楽章が、曲想の変化が激しく全体像を把握するのが難しいが、それらセクションを絶妙なバランスで描き分けていく。7 番をご存じの方なら判ると思うが、この 5 楽章はサーカスの見せ物、もしくは遊園地のアトラクションのごとく次から次へと様々な曲想が出てくる。次は観覧車、次はお化け屋敷、次はジェットコースター・・・。その合間合間をマイスタージンガーの輝かしきハ長調の行進曲が繋いでいくというロンド形式なのだが、それぞれのセクションを均らしたり、繋ぎ目を目立たなくしては台無しになる。また、それぞれのセクションの変化にも敏感でなくてはならない。トーマスはそういったものを非常に敏感に嗅ぎ分けて、まるでプレゼンの場でのスライドを切り替えるように、巧みにそれぞれのセクションにフォーカスを合わせていく。繋ぎ目の処理も上手い。普通こういう部分はアインザッツを揃える程度の極短いパウゼが入るが、曲がパウゼを必要としてない限り出来うる限りのイン・テンポで次の楽想に入っていく。そして次の楽想に入ったときには、すでに新しい曲想を掴んでいる。前の楽想が自然なアラルガンドで終わったとしても次の楽想は影響されない。これはかなり練習しないと難しいはずだ。これだけでは楽章を全体として捉えたとき、バラバラな印象になりそうだが、そうはなっていない。またこれは 5 楽章だけに限ったことでもなく、どこを取っても曲の展開に納得できるのだ。

 マーラーの 7 番のマニアはきっと、sfz やアクセントの位置、この楽器にはクレシェンドが付いているがこの楽器には付いてないということを凄く気にするんだろう。そういう指示をちゃんと再現できている演奏が良くて、そうでない演奏は読みがあまいとされる。そういうマニアではトーマスの演奏には落第点を付けるかもしれない。トーマスの場合、そういう指示はフレージングに対する指示のように扱っているように聴こえる。例えば、弱起の上行音型で普通ならフレーズの頭を弱く初めるところに sfz が書いてあれば、文字通り sfz にするというより、フレーズの頭に重心を持って来るようにしているようだ。そういう意味では奇をてらった演出はしておらず、それ以上に大切なこと(フレージング・アーティキレーション・アゴーギグなど)を丁寧に描出している。全体としてマーラーのアーティキレーションを無視している訳ではない。3 楽章で執拗に出てくる 3 連符の伴奏は、スラーが有るか無いかを明確に弾きわけているが、これが案外効果的だ。度々出てくるグリサンドも効果的に効かしている。マーラーの指示を忠実に再現したといわれる演奏は、結局それだけのものでしかないというのが多いが、このトーマス盤は、そういったマーラーの指示を上手く消化していると考える。

 以上は全体的な評価で、細かくいったらもうキリがないほど書ける。2 つめのナハトムジークは、マーラーの第 4 交響曲の 3 楽章や第 6 交響曲の 3 楽章の直系の子孫と考えるが、やや速めのテンポでそれとの隔たりを強調する。バーンスタインのような、どっぷり浸りきった表現も良いが、この辺は好みの分かれるところかもしれない。トーマスの場合は、トリオ(187-259)の部分でふくよかな表現へと持っていく。ここの盛り上げ方はバーンスタインより感動的だ。

 キズもない訳でない。32 分音符と 64 分音符、あるいは 16 分音符の関係が曖昧な部分がある。1 楽章の再現部でトロンボーンが主要主題の最高音を外す。最終楽章の最後のリトルネッロの部分でホルンが 1 小節早く吹きそうになる。でもこんなのどの演奏にも付きものだ。それよりティンパニの音がいい。発音がハッキリしていて芯もしっかりしている。ティンパニとコントラバスが良いとオケの音が締まってくるが、このティンパニはかなり貢献していると思う。テナーホルンのソロは、主席トロンボーン奏者のイアン・バウスフィールドである。

 録音もかなり良い。もうちょっと密度感があると最高だが、空間分解能、トランジェントも良く、広めの空間に個々の楽器が並ぶ。オーケストラの配置はモダン。ティンパニは中央にいるようだが、個々のタイコが広めに並べてあるように聞こえるのが、ちと不自然。

 まとまりの無い文章になったけど、22 日には国内盤が出るようなので、それに間に合わせようと一気に書き上げたせいです。少なくとも私にとって当分の間マラ 7 のベスト 1 となろう。やっぱりトーマスは凄かった。

演奏 : ★★★★☆
録音 : ★★★★☆
 
1999.09.21

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2005年1月 7日 16:40

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