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ショスタコーヴィチ:交響曲第 10, 5, 6 番/ウィッグルスワース [BIS]
ショスタコーヴィチ:
交響曲第 10 番・第 5 番・第 6 番
ウェールズ BBC 国立オーケストラ
BIS BIS-CD-973/974
5 番は 1996 年 12 月、6 番と 10 番は 1997 年 11 月にウェールズのブラングウィン・ホールで録音。2 枚組で 10 番と 5 番の 1 楽章までが 1 枚目、2 楽章以降と 6 番が 2 枚目に収録されている。
BIS のショスタコーヴィチでも聴いてみるべ、という録音期待で買ったのだが、期待はずれだった。音自体は繊細にしてダイナミックな BIS サウンドなのだが、D レンジが広すぎるというか、小さい音が極端に小さく、かなりボリュームを上げないと聞こえない。ボリュームを上げればいい音かというとそうでもなく、響きがなく音が死んでいる。まるで音が吸い取られるステージの上で聴いているようだ。このボリューム位置で聴いていると Tutti の時に途端に音がでかくなり精神衛生上よろしくない。この傾向は 10 番が一番強く、6 番はまだ聴ける。この演奏は録音で非常に損をしていると思う。今回の評は録音の印象が演奏評にも大きく影響しているので、その辺を考慮して読んで下さい。
全体的な印象として、パッとしたところのないナロウなショスタコーヴィチと感じた。一番の原因はやはり録音なのだと思うのだが、演奏にも問題がありそうだ。何故なのかと考えながら何回も聴いたところ、まず最初に思ったのは、オーケストラの音色の魅力の無さ。このウェールズ BBC 国立オーケストラが 88 人体勢として設立されたのは 1987 年ということで、歴史は浅い。オーケストラ特有の音色がどうすれば出来るかなんてことは知らないが、それぞれの奏者のスタイルを根本から揃えることと、決まったホールで練習をすることと思う。何れにせよある程度の歴史が必要であろう。日本のオーケストラはホールでなかなか練習できないようで、それがかなりのハンディキャップとなっている。BBC 国立の音色はくすんだ感じで(燻し銀とまでは言えないでしょう)、ショスタコーヴィチではもうちょっと派手さが欲しいところだ。
一般的にオーケストラの音色は笛と喇叭、要するにフルートとトランペットが派手なところは、オーケストラが明るくなると言われるが、ここのフルートとトランペットは地味だ。トランペットの吹き方がバラバラなのも耳に付いた。あとこれは私見なのだが、木管楽器特にクラリネットが派手で艶やかな方がロシア的に思えて好きなのだが、そういう要素もない。イギリスのオケであるから管楽器の充実感も期待したが、満足できなかった。イギリス・オケの管楽器は密度が濃くパワフルな音を出すという印象があったが、結構ムラがあり底力も大して感じられない。そしてそれ以上に弦楽器が揃わない。 アンサンブルは慎重で、それがプラスに働くことよりマイナスに働くことが多いようだ。探り合ってがんじがらめになってるように聞こえる。指揮者の指示を反芻するのみで自発的に曲を作ってないようだ。
6 番の 2, 3 楽章では慎重アンサンブルを忘れ、積極的に曲を進めていて、雑な割には良い感じになっているが、10 番の 2 楽章ではアンサンブルが流れすぎて、金管 vs. 弦・木管のプリミティブな対立項による造形美が出てこない。しかし 5 番の 1 楽章は慎重アンサンブルがプラスに働いており、提示部のストイックな表現が Allegro non troppo 周辺の推進力を際だたせている格好になっている。但し 4 楽章では早くなりそうで早くならない、先へ行く力と納める力が拮抗している居心地の悪いテンポ感になってしまっている。中間部の落ち着いたところも、弦楽アンサンブルがおっかなびっくり弾いていて何をしているのかよく見えない。ウィッグルスワースは要所要所でテヌートを効果的に使いたいようで、一音一音最大限に持続させる感じで演奏しているが、これも逆効果になっている。テヌートの統一がとれてなく、悪いと後膨らまし、そして次の音が遅れる。狙いどころは悪くないと思えるが、成功してないのでは意味がない。10 番の 1 楽章では、フレーズを途切れなく繋げたいという狙いのようだが、それがモッタリとした印象を強くしている。5 番の 4 楽章再現部、弦楽器の 8 分音符もテヌートにして音が途切れないようにしたいようだが、なかなか揃わない。これはテンポにもよるのだが、ピタッと揃った 8 分音符の上にピンポイントで金管やティンパニを合わせることで緊張感を出せると思うのだが(ルバートも揃えてやる)、金管やティンパニも勝手にやっており弦楽器も揃ってないとあれば、あのテンポを選んだ意味があまりないのではないか。但し終わり 3 小節をイン・テンポで納めたのは英断と思う。
ショスタコーヴィチはソロを頻繁に使うが、これらのソロもあまり良い出来でない。5 番 2 楽章のトリオのヴァイオリン・ソロなんか、アマチュア並みのソロに思えた。10 番のフルート・ソロやクラリネット・ソロも、楽譜通りなぞっているだけで、味わいに欠ける。6 番の 1 楽章もソロが頻発するが、こちらはそんなに悪印象は持たなかった。
ショスタコーヴィチはテンポ設定が難しい。あるパッセージにはちょうど良いテンポであっても、他のパッセージにはもうちょっと違うテンポの方が効果的だというのが良くある。それをどのように処理するかが聴き所でもあるわけだが、ウィッグルスワースのテンポは基本的な設計は妥当なものと思うが、細かくフレーズ単位で聴くと非常に不安定だ。個々のフレーズに合うように微妙に調節しているという感じでなく、オケが走り出す・「まて走るな」・テンポを落とす、というアクシデンタルな要素が多く、曲をどちらに向けたいのかがハッキリと出てこない。解釈によるテンポ変化はドライヴできてるが、そうでないと混乱している。5 番の 1 楽章と 4 楽章にある暫時テンポアップもドライヴ仕切れて無いようで、早くなりそうで早くならないと思っているうちに早くなっているという煮えきらない印象であった。そういう組織的なテンポ変化の部分だけでなく、ちょっとした部分でもテンポの揺らぎが目立った。きちっとドライヴして成功している部分もあるだけに、もう一息持続して欲しかった。
我流のショスタコーヴィチの楽しみは、本来あるべき調より外れた音(和音)を聴くことだ。これは不協(和)音のこともあり、本来あるべき調から微妙に外した音を辿っていくという、調性の範囲内での僅かな調のズレのこともある。このズレの感覚がショスタコーヴィチ音楽の本質ではないだろうか。無調まで聞き慣れてしまった耳には、こういうのに無頓着になってしまうが、調性的な頭に切り替えて聴くと非常に楽しめる。ところが普通の演奏だと、これらは結構陰に隠れてしまい、本来あるべき調の支配力が優位に立っていることが多くなる。ズレの例を挙げようと思えば山ほどあるが(全体がそうなのでね)、もっとも判りやすい例は 10 番の終楽章のコーダ、全体が e dur なところティンパニだけ d es c h と打つ、この微妙なズレ具合が気持ち悪い。ところがよくある演奏ではティンパニがこのときはタイコになってしまい、音程がハッキリ出てない演奏が多いのだ。ウィッグルスワースの演奏はこの点がクリアーに出ていて、好感が持てる。全体的に見てもハーモニーはしっかりしているようだ。6 番の 3 楽章もそういう点で際だっている。
もしこの演奏がライヴであったり、このような問題を吹っ飛ばす "何か" があったりするなら、このような細かい問題は「オーケストラの演奏に付きもの」として過小評価にしてしまうのだが、この演奏はそう言うわけにはいかない。気合いの入った部分( 5 番の 1,3 楽章や 6 番の 2,3 楽章に見られる)もあり、こういう集中が全編を貫けないのは単に怠惰なだけだと思うからだ。「たとえ偶然でも 1 回出来たものは必ず出来る。それが出来ないというのは怠けているからだ」と、私は指揮者に言われたことがある。この演奏にもそれを言いたい。
演奏 : ★★☆☆☆
録音 : ★★☆☆☆
お薦め盤 :
第 10 番 ショルティ/シカゴ SO. (DECCA)
第 5 番 無し
第 6 番 バーンスタイン/ウィーン PH. (DG)
1999年10月14日 17:23
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