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『ブレードランナー』論序説〜加藤幹郎

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『ブレードランナー』論序説 リュミエール叢書 34
加藤幹郎
筑摩書房

 書店でパラパラっとめくってみて、結構興味を惹く内容のように思われたので、久しぶりに映画論の本を読んでみました。ひさしぶりに歯ごたえのある作品論でした。まるまる一冊を映画『ブレードランナー』論として費やしており、シークエンスの順を追って、1 ショット、1 カット、1 シーンずつ詳細に映像やサウンドトラックの意味を読み解いていきます。ま、全部のカットについて解釈しているというと言い過ぎで、大きくシークエンスとしての解釈のなかで特定のカットに言及しているという方が正確でしょうが、まるで 1 カットずつ遡上にあげているような丹念な印象を受けました。

 こういう内容だと、かなりマニアックな=おたく的な本と思われるかもしれませんが、さにあらず、蓮實重彦氏らの映画論と同種の視線をもつ、映画および映画史の中で読み解く正統派の映画論といえましょう。またこの本の中には、例えば原作ではこうだったとか最初の構想ではこういう設定だったといった 2 次資料に基づく解釈は「完成した映画に先行するという権利のみを楯に、一本の映画の意味を最終的に決定しうるという主張はまったく妥当性を欠いている」(p. 219) とされます。リドリー・スコット監督自身による発言も同様に「作者(監督) の意図と解釈といえども、かならずしも作品を十全に説明することはない」(p. 221) と一蹴されます。つまり「映画」以外の資料に惑わされてはいけないということです。

 この態度は私も完全に同意します。音楽においても、作曲者の解釈が完全で最優先に遵守されるべきものでは無いですし (音符は遵守すべきものですが)、作曲の経緯と作品とは切り離して解釈するべきです。音楽では、作曲者の私生活の状況を作品解釈の拠り所としたものが多いですが、それはゴシップが広く流通してしまっているため (たとえば "娘を失った悲しみが色濃く伺える作品" などと言って満足してしまうような)。それこそ映画では、メイキング資料や関係者の発言が数多く生産されるので、作品解釈をそれらから切り離すのは容易ではなくなってしまいます。『マトリックス』三部作のウォシャウスキー兄弟が、自分たちが発言することで作品の解釈が一義的なものになるとして、作品について語るのを止めたのも、監督の言説に盲信してしまう観客への警鐘のためでしょう。

 加藤氏のこの『ブレードランナー』論は、冒頭の巨大な碧い瞳の主は一体誰なのかという疑問点から出発し、広く流布している従来の解釈をことごとくひっくり返していきます。で、それは独りよがりな解釈ではなく、見逃していたり見過ごしていたり聞き逃していた重要な部分を知らしめることで、説得力のあるものでした。また銀幕の記憶装置として、映画史的にこのフィルムはどういうものなのか。古典的ハリウッド映画/フィルム・ノアール/SF 映画として、特に『メトロポリス』からの鐘の音の木霊など、なかなか刺激的な内容でした。それどころか、『強力わかもと』や『Enjoy Coca Cola』のメッセージの意味さえ説いてしまうのです。

 よく俎上にのぼるガフの折り紙の意味 (または無意味) や、デッカードは実はレプリカントだったのかという問題にも触れています。私もデッカード=レプリカント説は反対で、デッカードも実はレプリカントだったという設定はアイディアとしては面白いと思えますが、レプリカントだった場合に見えてくる新たな地平などこの映画には用意されて無いですし、単にレプリカントがレプリカントを屠殺するだけのアクション映画としか意味をなさなくなるでしょう。レプリカントと人間の複雑な関係から「人間らしさ」という曖昧なものが見えてくる映画なのに、みんながレプリカントだったとしたら、レプリカント=人間的、人間=レプリカント的という単純な 2 項対立で終わってしまいます。その程度の結論じゃ、何のための 2 時間なのかとなってしまいます。加藤氏の『ブレードランナー』論も、冒頭の眼が見ていたものと絡め、ロイとデッカードの対比を描き、デッカードもレプリカントかという問いは意味をなさないことを納得させてくれます。

 私はこの本を読んで、ブレードランナー論としてだけではなく、映画作品論とはかくあるべきというお手本として、刺激を受けました。しかしながらこの本からは「この作品はこう読まなければならない」といった、唯一正しい解釈だと押しつけられている感覚も受けました。ま、書き手が「私の解釈はこんな感じですが、皆さんどうお考えですか」と自信なさげでは「論」になりませんけどね。解釈として私は納得できるので良いです。かくあるべきという書き手に対して、読み手がどう捉えるかは委ねられている訳ですから。

 徹底的に表面的な部分を掘り下げた「メイキング・オブ・ブレードランナー」ポール・M・サモン (ソニー・マガジンズ) も良いですが、メイキングものだけでは作品の理解には通じない訳でして、こういった深い作品論が出版されるのは大歓迎です。

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「ブレードランナー論」序説

2005年1月31日 17:13

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