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マーラー 交響曲のすべて
マーラー 交響曲のすべて
コンスタンティン・フローロス (著)
前島 良雄/前島 真理 (訳)
藤原書店
本屋へ行って目を疑いました。『マーラー 交響曲のすべて』というもの凄い分厚い本があるではありませんか。おー、こんなん出たんだ〜と思い著者を見ると、フローロス…、あっこれ原書で持っているやつだ…。なるほど日本語訳が出たのかと了解。
Floros の "Gustav Mahler: The Symphonies" はアメリカに留学していた友人に、お土産として頂いたのでした。以来私のアンチョコとして活躍しています。日本語で読めるのも良いかもねと、買おうと思いましたが、4〜5 千円位しそうだなと値段を確認すると、何と 9,240 円!!! ちょっと異常です。原書はペーパーバックで、$19.95 です。あまりにも足下見てないか。
この本の内容ですが、マーラーの交響曲 (《大地の歌》含む) の楽曲分析がメインですが、作品の成立史からの視点から書かれており、楽曲分析としては若干物足りない感じ。音友の「名曲解説なんとか」の解説を深くしたような内容です。また分析は、シロートの私が言うのもなんですが、ちょっと重要な部分を見落として無いかというところが無きにしもあらず。解釈はごく一般的で、交響曲という形式感と独自の説話法の狭間で軋み悲鳴を上げているマーラーの音楽のダイナミックさが伝わってこないという思いがあります (私の英語力の問題かもしれませんが ^^;)。また、作者個人の心境を作品の中に見いだすという、私の嫌いなアプローチもされていて (分析とは、作者に問うのではなく作品に問うべきでしょう)、その点でも物足りなさを感じます。それでも、やはり専門家の分析ですので啓示に富んでいますし、第 10 交響曲も全曲を取り上げているのは特筆すべき点でしょう。
普段なら、悩んでも結局買ってしまうところですが、以上の諸々の理由から今回は見送り。5 千円程度なら買っていたかもしれないんですが…。原書も持っていることですし。ま、マーラーの交響曲でそういう分析的な本はほとんどありませんでしたので、その点では愛好者必提の本でしょう。
付記:その後、amazon.co.jp で見てみたら、早速マーケットプレイスに 6,100 円で出ていたので、注文してしまいました… (^^;。古本屋さんの出品。いくらなんでも手放すのが早いぞ (>前の持ち主)。
本が届きましたので、ざっと読んでみました。訳者の方があとがきで書かれているように、フローロスは全ての交響曲を標題音楽的な観点で捉えようとしているようです。1〜4 番のみならず、5 番以降についてもです。確かに、広い意味でマーラーの音楽はすべて標題性があろうかと思いますが、マーラーが最終的にそういうプログラムを破棄した理由は、作曲者が解題することで解釈の一元化が起きるのを避けたかったからではないかと思うのです。それをまたプログラムをほじくり返して、解釈の根拠にしようとするのは、作品の成立史を学ぶには役立ちますが、作品を深く知るにはかえって悪い先入観になりかねない。「作曲者の意図だったから」ということで作品を規定してしまうのは危険な行為だと思います。
それにしては、6 番の 2,3 楽章の順番の問題は一切触れられてないのもどうしたものかと思います。ラッツを全面的に信頼して Scherzo-Andante の楽章順に問題無しということでも、成立史的には外せないトピックだと思うのですが。1 番も《ブルーミネ》付きで解説してあり、それ自体は有り難いことですが、楽章毎の分析の中に《ブルーミネ》楽章として位置を占めているのは、ちょっと誤解を与えかねない。また初期のプログラムにあったタイトルを、可能な限りの楽章に標題として付けるその書き方は、日本で 4 番を《大いなる喜びへの讃歌》などと言ってしまう神経と近いものを感じでしまい、その標題が一般的であるかのような誤解も与えそうです。
ということで、この本の読み手としては、標題(=成立史の問題)と楽曲分析を分けて理解すべきであって、標題と作品を一緒くたにして理解することは一般的では無いのだということを念頭に読むべきです。そうすれば、この本からは得るものが大きい。成立史としてこれだけまとめてあるものは少ないですし (特に日本語で読めるものは)、分析も、事細かにという訳にはいってませんが、各楽章のフォルムを明確にし (異論が無くもないが)、主題の発展機序などいくつか見逃せないトピックが書かれており教えられることが多いです。同じ題材で本を書けと言われてもとても私には書けませんから。
後、大きな問題はやはり値段です。やっぱり万に届くほどの内容とは思えない。あんなツヤツヤな良い紙を使わなくて良いし、ページレイアウトもペーパーバック並みに詰め込んで良いので、高くても 6,000 円程度が妥当だと思います。出版社にもいろいろと事情があるのでしょうが、万金(まんがね)を出すのなら、マーラー全集をもうひとつ買い足した方が私は良いと思いますもの。しかし、私の行きつけの本屋の棚からは消えていました。別の本屋にはさらに 2 冊入っているし、結構売れているのかも。
関係ないですが、序でに。この手の楽曲分析ものの書籍で私の気に入っている本は、ウォルター・フリッシュ著『ブラームス 4 つの交響曲』(音楽之友社) です。スコア片手に読むような本で、楽典の知識も無いといけませんが (「フランス六の和音」なんて言われてもちょっとどんな音なのか判りません ^^;)、アカデミックな分析だけでなく、それを音楽に即した読み物として披露してくれ、ブラームスが交響曲をどれだけ苦労して書き、どれだけ練りに練られ、どれだけ革新的か、曲の核心が手に取るように判る優れものの本です。値段も 2,600 円でお手頃。ヤーノシュ・カールパーティ著『バルトークの室内楽曲』(法政大学出版局) も同じく良書です。
さらに追記します(^^;。
フローロスは思った以上に文献学的にマーラーの交響曲を読み込もうとしているようです。フローロスは自分で標題を与えることは慎重に避けており、マーラーおよびアルマ、バウアー=レヒナーなどへの発言や手紙、そしてアドルノや当時の批評家達などが与えた標題を整理し、作品解読の指標としているようです。またフローロスのいうマーラーの交響曲における標題性とは、タイトルなど狭い意味での "標題" のみならず、どちらかというと絶対音楽に対する標題音楽として考えられるもの、つまりストーリー的に発展するドラマのことを言っているようです。
1 〜 3 番に関する部分はマーラーによる解題が多いので、それのまとめにページが費やされ、作品の分析はあまり語られませんが、4 番以降はマーラーの解題が少なくなり、その分作品に当たる分量が増えてきます。8 番ではテキストと音楽の密接な関係など、大変興味深い指摘がされていました。
私は以前まで、フローロスはセンチメンタルにマーラーの作品を読み解こうとしているのではないかという印象を持っていたのですが、読み進むうちに、かなり手の込んだ研究成果に裏打ちされていることが判ってきました。"いまいち" のような感想を書いたのは軽率だったと猛省している次第です。
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マーラー交響曲のすべて
Gustav Mahler: The Symphonies
ブラームス4つの交響曲
バルトークの室内楽曲
2005年6月25日 21:33
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コメント(3)
投稿者 たにぐち : 2005年7月 2日 23:31
やあやあどうも。
そうだねリスニングガイド。うん確かに。マーラーの交響曲は、他の人の交響曲より作曲者による解題が圧倒的に多いので、そういうのをまとめてあるという点ではかなり役立つ。分析的な本のつもりで読むとかなり肩すかしを食らいます。同様に新ウィーン楽派の連中も、自分自身あるいはお互いで分析しあった記録を多く残したけど、もっぱら技巧的な部分の種明かしが多いので、作品解説はマーラーとは対照的に技巧中心になっていく。良かれ悪しかれ、作曲者の残した言説が多いほど、後年の受容にも影響するのだろうね。
他の作曲者で同じような本を書くには、作曲者自身による解題が少ないので、曲自身を分析していくことになるのだろう。僕が読みたいのはそういう本。ブラームスやバルトーク本はそういう欲求を満たしてくれます。ああ、あと白水社の大きいワーグナー本も良いねぇ。
「標題音楽」が軽んじられているというのは、同意する。音友社の雑誌などを読んだ感じではだけど。でも "絶対音楽" だとしても自分で標題を与えて解釈して聴いている感じだよね。都合良く利用している訳だ。僕は標題音楽と絶対音楽って特に区別する必要ないと思っているんだけどね。お互いがお互いの要素を持っている訳でしょ。
投稿者 渡辺純一 : 2005年7月 6日 10:16
そもそも絶対音楽って言葉が19世紀に発生したもの。「標題」のついてない音楽の方が珍しいのではないかな。ヨーロッパのクラシックというのは、そういう点で特殊な世界なのかもしれないね。オペラだって一作一作違うわけで、交響曲だ協奏曲だソナタだなんて方が特殊なのだろうね。
でもこういう「絶対音楽」に慣れ親しむリスナーだったら、やっぱり曲の構造そのものに関心が強くなる訳で、その背後にあるプログラムだけでなく、根本的構造が気になるのはやむを得ないのかもしれない。標題音楽にしたって、形式がないんじゃなくて、やっぱりあって、それが標題にどう影響されるのかっていうところが面白いんだと思うんだ。
標題音楽っていうのが、結局小学校低学年の観賞用でたくさん聴かされてしまうから問題なのだろうね。実際はもっと素朴な「描写音楽」なのかもしれないんだけど。ベルリオーズの《ロミオとジュリエット》とかリストの《ファウスト交響曲》なんて、標題交響曲(dramatic symphoniesって僕は習ったけど)になるのかもしれないけど、小学生には難解この上ないようにも思えるなあ (^_^;; 「絶対音楽」「標題音楽」の対立って、もっと真剣なものだったのかもしれないと思う今日この頃…
投稿者 たにぐち : 2005年7月19日 11:13
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ええっと原書を買ってきた友人です (^_^)
ぱっと見た感じ、リスニング・ガイドという感じの本だと思いました。実は私、まだ読んでいません (^_^;; でも、私も本屋さんで「うわ、訳本でたよ〜」と驚きました。小節数がきちんと書いてあるのは明確で良いよね。とりあえずスコアに印でも付けておけば、どういう風に分析しているかが分かる。諸井三郎がベートーヴェンの弦楽四重奏やピアノ・ソナタでも、こういう分析本を音友から出していたんだけど、勉強になるよ〜。
でもマーラー訳本が値段が1万円近くもしてたのは気が付かなかったなあ。高すぎ! 買えないっす (;_;)
ところでマーラーの交響曲が「自伝的作品」として見ることができるものなのだろうかというのは健全な問題だろうねえ。モーツァルトの晩年なんかは反面教師的役割を示しそうだ。もっとも「標題音楽」に関しても、やや不当に軽んじられる傾向もあるように思うけど、どうなんだろう? 絶対音楽優位という考え方があるのかなあ、日本には?
6番の楽章の問題は、この本がガイドブックであることを踏まえて、とりあえずこういう説があるという進め方なんだろうね。それ以上の知識をすでに持っている人には、確かに不満だろうというか。
僕自身は、他の作曲家に関しても、こういう本の需要って結構あるように思うんだけど、どうだろう? バルトークとブラームスの例はあったけどね。『名曲解説全集』というのは譜例に小節番号が書いていないので、譜例を実際のスコアに探すのが大変だったりもする。曲を覚えて楽譜が読めて、口ずさめれば問題ないけれど。