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《中国の不思議な役人》旧版スコアのさらなる問題点

《中国の不思議な役人》の新版スコアに関する基本的な話題は、バルトーク:《中国の不思議な役人》 新版と旧版の比較 をご覧下さい。また新版スコアにある「まえがき」と「解説」の日本語訳などの基礎知識は、 The Music-makers' Paradise をご参照下さい。(この記事にある自筆譜はすべて上記サイトで《中国の不思議な役人》を研究していらっしゃる盟友村上氏より提供頂いたものです。)

 新版スコアにもりこまれた約 30 小節の追加部分の妥当性などについては、ペーテル・バルトーク氏がスコアの「まえがき」で語っていらっしゃるので、上記 The Music-makers' Paradise をご覧頂きたいと思うのですが、それでも尚「ブダペストでのカットの方が作曲者の最終的な結論を意味するのではないか」というわだかまりはありました。30 小節が増えたと同時に、無くなった音符もあり、特に [97] 以降、役人がランプに吊される部分での 2,3 トロンボーンの執拗なグリッサンドが消えたのは、「退化」なのではないかと思えたのです。最近のクラシック界では『原典版』志向が強くなっていますが、なんでもかんでも手稿譜の状態に戻すのも考えものだと思っていました。

mandarin-97.jpg
[97] からの 2,3 トロンボーンのグリッサンド。新版ではこれがなくなる。

 最近、この作品の手稿譜(新版の主たる資料となった 49FSFC1 と呼ばれるもの) を研究する機会に恵まれたので、この辺の問題を調べてみました。すると驚く事実が判明しました。

 この手稿譜 49FSFC1 は 1924 年に書かれたもので、バルトーク自身の筆跡で書かれております。そしてそこには後年に行われたと思われるバルトーク自身による手直しも書き込まれており(主にダイナミクスの変更が多い)、それは 1926年12月3日にユニヴァーサル社へおくられた「役人の変更点」という書簡と一致しているので、遅くとも 1926 年(=初演の年) の年末までにこの修正が行われたということになります。その修正箇所に、例のトロンボーンのグリッサンドの削除も含まれていました。

mandarin-97m.jpg
上記譜例と同じ箇所の自筆譜。 トロンボーンのグリッサンドは波線で消されている。
何故削除したかは判らないが、初演の演奏を聴いて思ったほどの効果を得られなかったと判断したのか。当時の F バストロンボーンの機能では、このグリッサンドは難しいのかもしれない。(現代の楽器だと、下の H はまともに演奏できないはず。)
ちなみにこの小節より 30 小節ほど前の [92] のあたりも、トロンボーンのリズム音型が削除されている。

 私は、ブダペストの上演に合わせて数小節をカットしたと同時に、このトロンボーンのグリッサンドが新たに書き加えられ、新版ではまたそれを(ない状態に)戻されたのかと考えていたのですが、現実は逆で、そもそも初稿にはあったものを修正時に削除した (しかもブダペストでカットするより以前に) ということだったのです。つまり、出版された楽譜にこのグリッサンドは有ってはならないものだったのです。

 同様に他の修正箇所も調べてみました。そこで判明した事は、旧版スコアで《演奏会版》に含まれている部分は 1926 年の修正内容も全て盛り込まれていますが、《演奏会版》以降の部分では、まったく盛り込まれていないということでした。《演奏会版》の最終稿は1927年2月3日に(つまり全曲の修正作業後まもなく) 出版社に送られ、年末までには出版されています。もちろん作曲者もそれを見ており、ミスも直しているので、《演奏会版》の信頼度は高いわけです。全曲スコアは作曲者の死後 1955 年に、《演奏会版》の版下に付け足されるようにして作られました。このため、《演奏会版》までと、それ以降で、完成度に大きな差が生じたのです。




一例、[95] の手前。上:旧版スコア、下:自筆譜
ダイナミクスの変更がされているが、旧版スコアは変更前のまま。最後の小節の Fl. のアーティキュレーションの違いにも注目。(クリックで拡大できます)

 出版社は全曲版出版の際その資料として、恐らく作曲者監修による最後の公演という理由で、ブダペストにスコアの提供を求めたようですが、これが問題となる 1931 年のブダペスト歌劇場でのカット版だった訳です。しかしその上演は作曲者が監修していた訳なので、せめて 1926 年の修正は盛り込まれていて良いはずです。それがそうなっていない理由は不明なのですが、出版社がブダペストから入手したコピーは、完全版と称した新しい手書き譜だったということが新版スコアの「まえがき」に書いてあり、それがかなり不注意な仕事によるものだったのだろうと考えられる訳です。出版用の浄書をするときに混入したミスではなく、そもそもバルトークの手直しすら入っていない (しかもご丁寧に 30 小節のカットは再現された) 間違った資料から作られてしまったということです。

せめて、同じブダペスト上演のために用意された楽譜でも、実際の上演で使う予定だったものを使用していれば、少なくともこの修正箇所が含まれないという問題は生じなかったかもしれません。出所がいまいちはっきりしない資料を使用したために、ブダペスト版ともまた違った、2 重 3 重に不完全な版が生まれ、それがつい最近までそのまま使われていたという不幸です。

 結論として、旧版は《演奏会版》部分以外、カットされた 30 小節の有無にかかわらず、不完全な資料に頼った、信頼度がかなり低いシロモノだったということです。

関連記事を検索: バルトーク 中国の不思議な役人

2007年2月19日 17:11

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