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バルトーク《青ひげ公の城》フルスコア新版
バルトーク唯一の歌劇《青ひげ公の城》のスコアの新版が出ました。改訂箇所は約 270 箇所にものぼり、ハンガリー語の歌詞も収録されました (但しドイツ語は削除された)。今までのスコアにあったドイツ語と英語版は、ハンガリー語と音価や音高の点で違う部分があったので、ようやくストレス無くスコアを追えるようになりました。
改訂箇所は、《中国の不思議な役人》のように失われていた小節が復活!なんてことはありませんが、単純な印刷ミスやダイナミクスの抜けを補っただけのいわゆる "改訂版" とは違い、いままでおざなりにされていた部分を明確にし、バルトークの意図がこれまで以上にこだわりのあるものだったということが判るようになっています。
スコアは A4 版サイズのハードカヴァー。Bartók Records 社謹製ですが、Universal Edition (Schott) 経由でも買えるようになるようです。
この度、ペーテル・バルトーク氏より、このスコアの序文の翻訳および掲載を快諾していただきましたので、こちらに掲載致します。Notes (校訂報告) も順次訳す予定ですが、数が多いので、目立った部分のみになります。
序文 ペーテル・バルトーク
《青ひげ公の城》はベーラ・バルトークの最初の舞台作品であり、ベーラ・バラージュの台本をもとに 1911 年に作曲された。バラージュは次の舞台作品、バレエ《かかし王子》の台本作者でもあり、こちらは約 5 年後に書かれた。《青ひげ公の城》の初演は 1918 年 5 月 24 日にブダペストで行われており、指揮者はエギスト・タンゴ。タンゴはほぼ 1 年前に《かかし王子》の初演も行っている。
《青ひげ公の城》のこのエディションは、ベーラ・バルトークの出版された作品を、間違いを修正した版として出版する計画の一部として準備された。作品の成立に関わった資料はもちろんのこと、現存する全ての資料を十分検討し取り込んである。さらに、この歌劇は音楽と同じように歌詞もハンガリー人が書いたものであり、このエディションでは、ふたつの歌詞のうちの一つを [訳註:もうひとつの歌詞は英語]、オリジナルのハンガリー語とすることが望ましいと思った。
この作品はまずヴォーカル/ピアノ・スコアとして書かれた。1911年 2 月〜7 月のことである。同時に、オーケストラ・スコアも大きな時間的制約の中、準備された。作曲者は Ferenc Erkel 生誕百周年記念コンペティションに、完成作品を提出しようと目論んでおり、提出期限は 1911 年 10 月であった。それに続いて、1912 年の 3 月にも、別の歌劇のコンペティションの締め切りがあった。
判っている限りにおいては、ヴォーカル/ピアノ・スケッチは 1911 年 7 月 8 日頃に完成した。バルトークは夏の休暇で出かけ、スケッチはブダペストに、彼の妻マールタがコピーするために残された ("Inside Bluebeard's Castle", Carl S. Leafstedt, Oxford University Press, 1999 参照)。マールタは驚くほどの短時間でコピーをつくり、オリジナルとコピーをまとめた荷物が、7 月 22 日に、バルトークのいるパリに送られた。翌日、バルトークはスイスに旅立ち、ツェルマットに投宿した。そこで、山をハイキングする代わりに、歌劇のオーケストレーションの仕事に取りかかった。オーケストレーションが完成したときは、すでにブダペストに戻っており、1911 年 9 月 20 日までには出来ていた。そして上記コンペティションへの提出に間に合った。
オーケストレーションを施した際、バルトークはいくつか細かい変更をしているが、同じ変更点をヴォーカル/ピアノ・スケッチには書き込まないことがあった。その理由は時間的制約のためか、あるいはそのコビーが既にブダペストに戻っていたために、同じ変更点を書き込めなかったものと考えられる。オーケストラ・スコアの方が後の日付けであるので、普通に考えればこれが作曲者の後の考えと認められ、また現在のヴォーカル/ピアノ・スコアは、それに応じて修正されている。
資料にあいまいな部分が存在する場合、編集方針を決定する必要上、次の 3 つのグループに分けて考えた。
2) オーケストラ・スコアの最初の手稿譜はオリジナルのヴォーカル/ピアノ・スケッチと同じだが、後から数カ所の変更がされており、ヴォーカル/ピアノ・スコアには変更点が含まれてないもの。この状態も、オーケストラ版が作曲者の最終的なアイディアを含んでいるとみなし、ヴォーカル/ピアノ・スコアは対応するように修正された。一例としては、涙の湖のセクションの [91]+8小節目で、オーケストラの音符は一致して D# だったものを C# に変更されている。恐らく落ち着いた雰囲気を少なくさせようとしたのだろう。
3) オーケストレーションが完成した後に、ヴォーカル/ピアノ・スケッチに変更が加えられたもの。これは変更の方が優先される。ことによると、作曲家に変更のアイディアが浮かんだとき、オーケストラスコアはもはや手元になく、変更出来ない状態だったのかもしれない。[39]+2 小節目では、2 つのバージョンのヴォーカル/ピアノ・スコアに相違点が見られるが、その部分を検討すると、作曲家が変更を望んだのは納得出来る。今回のこのバージョンでは、3種あるソースを検討し、編集者の権限で選択した。
作曲家により出版用の版下作成のためのコピーとして作られた手稿は、1922 年頃に出版社へ提出され、同年にこの原稿に基づいた質問の手紙が、出版社からバルトークへ出されている。浄書される前に、この手稿は指揮者用スコアとしても用いられており、まっさらな状態だったこのコピー譜 (但しドイツ語だけであるが) に、指揮者が広範囲にわたって鉛筆で書き込みを行っている。書き込みには主にダイナミクスやフレージングに関係したものである。これらの変更や加筆のいくつかの部分は、f を p に、あるいはその逆へと、ダイナミクスを変更し、作曲者の意図を明瞭に修正している。これらの修正は第一版にも含まれたので、作曲者の賛同のもと作られたと当然思えるかもしれない (しかし確信はない)。それでもなお、それらの修正点は改めて吟味され、いくつかの部分は、その部分の性格を極端に変えるようなものに思えたため、作曲者の本来の考えに近づけるように修正された。
この作品が作られたとき、コントラバスには、5 弦付きや、E 線を C に下げるためのアタッチメントがまだ普及してなかったと理解される。オリジナルのスケッチで、明らかに E 以下の音を必要としている状況でさえ、スコアでは、コントラバスの旋律をオクターブ・ジャンプさせるという修正を行い、E 以下の音を使うことを避けているようである。
この作品の最後の 6 小節間において、作曲者の最初の考えでは、コントラバスに低い C# を要求しており、オーケストラ・スコアのスケッチでは、コントラバスへの指示として、最後の数小節は E 線を C へ下げるように要求している。しかし最終的な手稿譜では、この案は却下され、ベースラインはオクターヴ高い C# へと書き換えられた。だがピアノリダクションでは、この修正はされておらず、これは低い C# も選択肢に含まれることを証明している。現代では、低い C# を弾けるコントラバスは一般的に使われているので、今回の版では低い C# を含めるようにスコアを修正し、低い C まで弾けない楽器のために、オクターヴ高い C# でも演奏できるように配慮した。
もう 2 箇所、コントラバスで低い C が使える楽器が望ましい箇所が見つかった。"涙の湖" ([91]-[100]) のセクション全体は、弦楽器は 3 オクターヴに渡って旋律を重ねて演奏する。但しこの旋律は、オクターヴの最低音が E 以下になるようなものであった。[94] -3, -2 小節では、3 つのオクターヴ、つまり最低音の D がピアノ・スケッチには書かれているが、オーケストラ・スコアでは、コントラバスは 1 オクターヴ高く移行されており、チェロと同じ音になっている。恐らくその埋め合わせとして、チェロとコントラバスは D の音を重音にして弾くようになっているが、印象としてはやはり低い D が欠けているように聞こえる。[95] -3, -2 小節では、ピアノ・スケッチでも低い Eb と C は避けられており、今までの弦楽器による 3 オクターヴ構造が破壊されている。これは、作曲者はピアノ・スケッチを書いている段階で、すでにオーケストレーションの構想を持っていたためと思われる。しかし、現代のコントラバスの多くは低い C を弾けることから、作曲者もこの部分の 3 つのオクターブを元に戻すことに同意してくれるものと確信している。
曖昧な部分の修正や、編集者による解決策とその根拠は、ノートで言及している。
完全に満足できるような解決策が見つからなかった問題に、次に示されるリズムの問題がある。

このリズムはいろいろなところ (例えば [1]-4 のオーボエとクラリネット) に現れる。作品の始めの部分では前者が、終わり近くでは後者が使われている。作曲者はオーケストレーションをしていくうちに、最初のバージョンが極端に早いと思ったのかもしれず、それとも終わりに向かって計画的にゆっくりとなるように意図したのかもしれない。どちらなのかは 100% の確率では決めかねる。ユニバーサル・エディションもこのジレンマを解決すべく、問い合わせの手紙をバルトークに送り、そのコピーは手稿譜とともに存在するが、作曲者からの返事は見つかってない。この問題についてのさらなるディスカッションは、ノートを見ること。
参照した素材は以下の通り。
第一スケッチ (エンマ・コダーイによるドイツ語訳付き)、初期バージョンのエンディングによる。 (ブダペスト・バルトーク・アーカイヴ、BBA 492)
第一スケッチのコピー、最終的なエンディングおよび修正を含む。ピアノ/ヴォーカル版の版下コピーとして用いられた。(28VoSFC1)
浄書家による校正原稿 (修正を含む)。修正された原稿のコピー。それと、作曲者が書いた、変更点リストのコピー (28VoSFC2)
校正原稿 (ベーラ・バルトーク Jr. による。修正が含まれている)。
フル・スコア:
第一スケッチ、初期エンディングが消されており、最終的なエンディングが付けられている。(28FSS1)
ほぼマールタが写した、コピー原稿 (28FSFC2)
上記をコピーしたもの (作成者不明)。版下用のコピーに用いられ、ドイツ語テキストが含まれる。最初の頃の上演時に、指揮者用スコアとしても用いられている。 (28FSFC1)
歌劇場用スコア。ブダペスト歌劇場の初期の上演で使われたコピー (ブダペスト・バルトーク・アーカイヴ所蔵)
歌劇場用ヴォーカル・パート。初期の公演で用いられたもの。特別なヴォーカル・パートは、Mihály Székely の 1936 年の公演のために用意された (ブダペスト・バルトーク・アーカイヴ所蔵)
出版譜、1925年 (ドイツのみ)
(特に記載していないものは、ペーテル・バルトーク・アーカイヴ所蔵のソースである。)
[訳註、28 は《青ひげ公の城》の整理番号。S はスケッチ、FS はフルスコア、FC はファイナル・コピーを意味する。]
私の同僚、ピーター・ヘニングスに感謝する。彼は全てのソースと出版譜を詳細に比較してくれた。また助言を与えてくれたネルソン・O・デラマジョーレにも感謝する。
この歌劇は、伝説の妻を殺した邪悪な男を扱ったものという思いを抱かせるが、それは間違っているだろう。タイトルと物語の枠組みを除くと、伝説的な人物との類似点は尽きている。物語の象徴的な本質は、語りべのプロロークにおいて、その手がかりを与えられる。これは歌劇の欠くことの出来ない要素であり、物語の意味を読み解くためのヒントを我々に与えているのだ。物語は、我々の眼前に広がるステージ上ではなく、我々の中にあるステージ、我々自身の人生を調べてみるべきだと言っているのである。
語りべによるプロローグは問いかけで始まる。これが起きたのはどこだ、外側か内側か? フレーズはハンガリーのおとぎ話によくある、伝統的な始まり方から飛躍する "Hol volt, hol nem volt..." (「それはどこで起こったのか、それはどこで起こらなかったのか...」または自由に「昔々あるとこで...」)。第二節では、語りべはもっとはっきりと話し出す「我々のまぶたのカーテンは上がった。ステージはどこだ、(このカーテンの) 外側か、内側か?」。第四節で我々は、互いに自分たちの話をしていることが、疑いようが無くなってくる。我々は古い寓話を目撃し、そこに自分自身の人生を重ねることを命じられるのである。
他の歌劇作品に比べて、この作品のステージアクションは、極度にシンプルなものである。語りべによるイントロダクションが終わってしまえば、二人の登場人物が歌うだけで、それも本質的には対話の部類である。アリアなどなく、時折二人の声が重なるだけ。終わり近くになってやっと、三人の人物が加わるが、幽霊のように無言である。ステージアクションの一部は、舞台セットそのものが担っている。それはデザイナーに果てしない可能性を与え、ひとつずつ開けられていく 7 つの扉により秘密が明かされるシーンは、技術者の熟練が試される。
詩人が去ってしまうと、我々は、大きく暗いホールにいることに気づく。かろうじて照らされているその場所には、閉ざされた 7 つの大きな扉が認められる。青ひげとユディットが到着し、外から入ってくるのが見える。外では太陽が明るく輝いている。そして青ひげは新しい妻に、しぶしぶと城を見せる。ユディットの見た場所は薄暗く、城の中に活気と光と新鮮な空気を入れたいと望む。そして青ひげの人生にも。ユディットは青ひげに、ひとつひとつドアを開けさせるように説得し、光を入れ、青ひげの秘密も明かしていく。
まず我々が目にするのは、拷問室、そして兵器庫、部屋一杯の宝物、花園。ユディットは至るところで、もちろん宝物や花壇ですら、血痕を見つけ、痛みや苦しみを負わせた痕跡を認める。だが、開いた扉からもたらされた光で、ホールは明るく、さらに心地良くなってくる。ここまで来ると、青ひげはユディットに 5 番目の扉も開けて欲しいと熱望するようになり、青ひげの領地、彼の財産、彼の富という、外側の世界へ導こうとする。青ひげは、今やこれら全てはユディットの物であると宣言し、夜明け、夕闇、太陽、月、星も彼女の友となるだろうと言う。だがこの地でさえ、暗雲が立ち込め、大地に落ちる影は血のようである。
青ひげは、もう城はこれ以上明るくならないからここで止めるようにとユディットに警告するが、ユディットの方が主導権を握っており、もうひとつ扉を開けさせる。扉が開くと、ホールは目に見えて暗くなり「まるで影が通り抜けたように」なる。扉越しに我々が見るものは、鏡のように平らで、不気味なほど穏やかな "涙の湖" である。今までに見た、前の住人に繋がる痕跡といえば、血痕と、悲しみに暮れ流した多くの涙だけである。青ひげは最後の扉を開けることを頑なに拒否するが、ユディットは女としての力を利用し、以前に彼が愛していた女性のことを聞かずにはいられない。青ひげが避けようとするので、彼女の疑念は疑いようのないものとなり、青ひげの前の妻が最後の扉の中に隠されていると確信するに至る。秘密は秘密でなくなり、青ひげは扉を開けることに同意する。
開いた 7 番目の扉から前の 3 人の妻が現れ、それは崇高でさえある。青ひげはまだ彼女達をあがめており、ひざまづき、彼女たちが私の富と美と財産をもたらしたのだと宣言する。彼女達は上等な衣服と宝石で飾られ、そのなかではユディットなどさえない貧乏人にしか見えない。
そして青ひげは過去の女性をひとりずつ紹介する。彼女達に会ったのはそれぞれ、夜明け、昼、夕暮れで、それ以来彼女達はおのおの夜明け、昼、日暮れを所有する。女性達はひとりずつ第 7 の扉に退いていき、青ひげが夜に出会った女性に、どのような運命が待ちかまえているのかは、疑いようもなくなる。彼女は抗議したにもかかわらず、華麗なマントと宝石で飾られた重い冠で飾られ、全ての女性のなかでも最も美しいユディットは、必然的に他の女性達に続いて、第 7 の扉を通らなくてはならない。
全ての女性が視界から消え、開いている扉は静かに閉まり、ホールを照らしていた光も徐々に無くなっていく。最後の妻ユディットが行き、ホールは我々が最初に見たときのように暗く、音楽は詩人が語っていたときに聴こえたのと同じ五音音階を奏でる。青ひげは、これで永遠に夜だと言って、闇に姿を消す。
ステージは我々のまぶたによって囲まれているということをよく考えるならば、その中に青ひげを認めることになるだろう。彼の城 (つまり人生) はそれぞれの "妻" によって豊にされる。ひとりは彼の青春期、もうひとりは成人期、そして黄昏と夜というように。彼女達はそれぞれの場所を占める。全ての夜明けは彼女達のものであり、全ての昼と、全ての日没も、我々の人生への贈り物である。我々の人生は、ただひとつの青春、ただひとつの壮年期、ただひとつの老年期であり、一日一日は再現できるものでなく、二度目の機会もない。それ故に、各妻はただひとつの我々の人生の全ての時期を占め、それは彼女のものとなるのである。
人生は独占的な縄張りではない。それは他の者によって影響され、形作られ、役立つものとなる。出会いは我々 (我々の城) を豊かにし、経験や知見や幸福をもたらし、蓄積された記憶は、大きな財産となっていく。お返しとして、同じような贈り物をこしらえたり、他の者へ喜びを与えたりもするが、ときには痛みや苦しみを負わせ、涙を流す原因になったりもする。ある意味、我々はみな青ひげであり、またある意味において、ユディットの役割も担っているのである。
この物語はみんなの人生そのものである。必然的に、全ての出逢いは終わらねばならない。我々のユディットは、人生における役割を終えたなら去らねばならず、彼女のもたらした喜びも一緒に消えねばならない。我々は、ついには永遠の闇に残されることになろう。
注意:
この作品で作曲者は、数え切れないほどのトレモロの指示をしているが、それは時には 3 本、時には 4 本の斜線で示されている。常に手稿譜に従おうという努力もむなしく、全てのソースはそれぞれが食い違っており、同じソースにおいても矛盾した状態である。編集者の権限で、論理的におかしくないよう修正したトレモロもあるが、読者は、このようなトレモロが数え切れないほどあることを心にとめておいて欲しい。
楽器編成:
[楽器編成表に続く注意事項]
musica di scena に含まれる 8 人の奏者は、舞台セットの後ろに 2 群に別れて配置されねばならない。4 本のトランペットは第 5 のドアの近くに、4 本のトロンボーンはステージの反対側のドアのひとつの近くに配置される。奏者は楽器を水平に構え、開いているドアにまっすぐにベルを向ける (つまり、観客に向くようにする)。第 4 トロンボーンは、musica di scena に加わっても良い。但し楽器は変えること。[訳註:musica di scena のトロンボーンの出番 "第 5 の扉" では、オーケストラの第 4 トロンボーンは休みになっているので、musica di scena に加わっても良いという意味。但し、musica di scena ではアルト・トロンボーンが要求されているので、持ち替えるように指示されている。新版のスコアでは、musica di scena の終わりに、"第 4 トロンボーンに持ち替え" の指示が追加されている。]
財宝のドアが開くシーン ([54]-[59]) では、3 本のトランペット (in Bb) が、musica di scena のトランペット (in C) と入れ替わる。この方法は作曲者の指示により、この度の版より示される。[訳註:[54] からオーケストラのトランペットがディミヌエンドしながら演奏し、 4 小節後に musica di scena のトランペットがクレッシェンドしながら入ってきて、入れ替わるようになっている。]
「果てしない陰鬱な回廊を、夜風が泣き叫ぶように吹き渡る」音 ([24] の箇所) を事前に準備しておく必要がある。また「深く、むせぶようなため息」も必要である (90]+9 の箇所)。
訳:渡辺純一
2008年2月21日 18:58
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